トレースマップはカシミール3Dで作成
*この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用しています。(承認番号 平22業使、第490号) 

行市山 (660m 滋賀県) 2011.11.27 晴れ・曇り 2人

毛受兄弟の墓(9:24)→林谷山砦跡分岐点(9:37)→中谷山(9:54)→林道横断(10:17)→別所山(10:18-10:25)→行市山山頂(11:02-12:17)→林道(12:42)→中谷山(13:20)→林谷山砦跡分岐点(13:29)→林谷山砦跡(13:33)→林谷山砦跡分岐点(13:39)→毛受兄弟の墓(13:50)

★11月27日に滋賀県の行市山に登ってきました。
★モミジが真っ赤に紅葉している毛受兄弟の墓をスタート。
★タカノツメの黄色いトンネルを抜け、中谷山の三角点へ。
★林道を横断し、紅葉の別所山砦跡で小休止して、目の前の行市山を目指しました。
★美しい天然林の急斜面を登り切って、行市山砦跡を通過し、行市山山頂の三角点を踏みました。
★山頂からは、南側が大展望。滋賀県東部の山々が箱庭のように広がり、琵琶湖が輝いていました。
★山頂で昼食の後、林道経由の周回コースへ。東へ一気に標高差200mを下って、紅葉の林道を歩き、中谷山付近で往路と合流し、駐車場に戻りました。
★戦国のロマンを辿りながら、すばらしい紅葉と展望に感動し、静かな晩秋の山歩きを楽しんできました。

 天正11年(1583年)、賤ヶ岳の合戦で羽柴秀吉の素早い戦略に、次第に柴田勝家側の敗色が濃くなり、勝家は北ノ圧へ落ち延びて陣を立て直そうとする。その勝家を守るため、毛受勝肋は兄の茂左衛門とともに勝家の身代りとなって、200人の兵で秀吉軍を迎え撃つが、秀吉軍の一斉攻撃を受けて、林谷山で勝助以下全将兵討ち死。毛受勝肋が柴田勝家の身代りであることがわかると、秀吉はたいへん感動したといわれている。毛受兄弟の忠節は、後の世までも語り継がれ、明治9年に林谷山麓に墓が立てられ、林谷山には砦跡が残されている。今回は、この壮絶な歴史ロマンを辿って、行市山に向かう。林谷山は行市山の一角にある。
 
 2週間前に己高山に向かった同じアプローチで八草トンネルを抜け滋賀県に入る。今回はすばらしい青空が広がっており、国道の周囲の山々は紅葉最盛期。横山岳の登山口となる杉野の集落を通過し、杉本の集落に入ったところで右折して狭い集落道を抜け余呉町上丹生に向かう。この山道は約2.5kmと短いが、道幅は狭く対向車とすれ違う場所も少なく冬季通行止めとなる。

 対向車に注意しながら登っていくと目の前に車幅いっぱいの隧道が現れた。ライトをアップにし、対向車が無いことを確認して約200mのトンネルに入る。「千と千尋のトンネル」と、助手席から声。ゆっくりとトンネルを抜け、上丹生の広い道に出た。ここを左折して、凍結を防止する水が流れる道を走り、ウッディパル余呉の隣にある赤子山スキー場のトイレに寄って、北陸道を潜り国道365号線に合流した。右折して3km弱走ると、今市のバス停がある。ここを左折して案内に従ってすぐに右折。集落を抜けると毛受兄弟の墓の駐車場に到着。ここが行市山の登山口となる。
 
 駐車場の真っ赤に紅葉したモミジが目を引く。駐車場は10台弱駐車できるがほぼ満車。また、駐車場の一角にあるお地蔵様の建物の雪囲いを地元の方が設置中だった。かろうじて1台駐車できるスペースに車を停めた。出発していく登山者を見ながら靴を履き替え、まずは毛受兄弟の墓に手を合わせる。東屋の案内板を見て、登山口へ。登山口は鳥獣防護柵を開けて入る。行市山山頂まで3350mの表示があり、この先、頻繁に山頂までの距離標示が現れる。
 
 人工林を抜け、よく踏まれた道を歩く。タカノツメが黄色に紅葉して頭上を埋める。15分ほど歩くと史跡案内図があり道が左右に分岐している。右へ300m行けば林谷山砦跡がある。林谷山砦跡へは帰路に寄ることにして山頂を目指す。天然林の中、頂上まで2700mの標示を通過。左に杉林を見て歩くと、広い道に合流した。広い道はどこから上がってくるのか分からないが、枯れ木で下らないように止めてある。ここでシャツを脱いでTシャツ1枚になる。

 なだらかな広い道を歩く。頂上まで2500mの標示を見ながら窪んだ尾根を歩くと樹間から右側の山が望めた。雪が薄く積もった山は横山岳、その左にある山は七々頭ヶ岳と思われる。眼下には北陸自動車道が見える。この辺りの紅葉も美しい。シカの皮剥ぎ防止のテ−プが巻かれた人工林を抜けると頂上まで2300mの表示がある中谷山に着いた。

 木柱には「中之谷山 原彦次郎長頼の砦」と書かれており、登山道の右のササの中に三角点があった。標高は368m。南側は僅かに展望があり、呉枯ノ峰の向こうにちょこんと伊吹山が頭を出している。

 尾根道を下っていく。左にはスギやヒノキが植えられており、展望もいい。木之本町の田園や市街地がモヤに霞んでいる。さらに下ると後方の横山岳や己高山も見える。下りきると左に林道が現れた。なお、帰路はここで合流することになる。ちょうど頂上まで2000mの標示がある場所である。ここから崩壊しそうな崖の縁を登ってスギの人工林に入る。前方から下ってきた単独男性と挨拶をして、溝状の道に積もったスギの枯れ葉を踏んで歩く。実に歩きにくい。

 鉄製の階段を登ると未舗装の林道に出た。山道は林道を横断してスギ林に続いている。大きな案内板があり道を見失うことは無い。すぐに人工林を抜けて天然林の道を歩くと、ササ付きの美しい紅葉の林の中に入る。前方には高台が見える。蛇行しながら高台へ登っていくと別所山砦跡の広場に出た。案内板があり、能登小丸城主の前田利家の陣城と記されている。
 
 砦跡は紅葉したカエデやナラの疎林で、地面は落ち葉が敷き詰められており、とても落ち着く雰囲気のいい場所だ。雪で曲がった木の幹に座ってパンをかじりながら、樹間に見える行市山を眺めた。400年以上前に強固な陣を築いた前田親子もここから今と変わらぬ行市山の山容を見ていたに違いない。静かな砦跡に降る落ち葉の音。当時の兵たちのざわめきが聞こえてくるような気がした。なお、柴田方はこの陣城を使って戦いをすることはなかったという。

 砦跡を下る。南の展望を見ながら歩くと道は次第に右方向へと向きを変える。頂上まで1200mの標示を通過。前方に行市山が見える。尾根道はタカノツメやカエデの紅葉で埋め尽くされて、今日の山歩きで最も紅葉が美しい場所である。この山に来てよかったと思った。左下方に林道のガードレールが見えた。先ほど横断した林道である。

 頂上まで1000mを通過すると、急斜面の道となった。一歩一歩落ち葉の斜面を登り切る。道はなだらかとなり美しい落葉樹林帯が続く。ブナも見られる。カエデの赤色がすばらしく、気持ちのいい道だ。再び単独男性とすれ違った。山頂が樹間から近くに見えるようになった。なだらかな道が終わり、再び急登。窪地の斜面を登り、左方向へカーブして後400m。
 
 よく刈り取られたササの道が分岐しており、白い木柱には左へ行くと分水嶺と書いてある。ここは直進。日陰に雪が残っている道を歩くと、よく枝打ちされた格好のいいスギ林が左に現れた。行市山砦跡を横断。ここでも下る単独男性と出会った。整然と並ぶスギ並木を左に歩いていくと、いきなり右側が開けた。見事な展望である。左には雪の横山岳が堂々と横たわる。その手前には2コブの七々頭ヶ岳、その右には七々頭ヶ岳を男性的にした瓜二つの墓谷山。そしてなだらかな金糞岳が己高山と重なって伊吹山まで羽を広げている。伊吹山の手前には呉枯ノ峰。南には小谷山が小さな三角形を作っている。
 
 この切り開きの奥に行市山山頂があった。南側は広く切り開かれているが、西から北はスギ林となっている。ここからは琵琶湖がわずかに見える。山頂にも大きな看板があり、ここも佐久間盛政の砦跡である。山頂には誰もいない。行市山と書かれたクマの彫刻がある木柱の横で記念撮影。時折南風が吹いて寒いが、ササを背に丸木に座って昼食にする。今回もおでんと卵雑炊。薄曇りとなり寒いのでアウターを着て、ゆっくりとランチを楽しんだ。登ってきた単独男性はすぐに東へ下っていかれた。我々も下山は東へ下る。地図で下山ルートを確認。標高差200m以上を真っ直ぐに下って林道を歩き、中谷山付近で合流する。
 
 山頂を後に、東へ向かってササの道に入る。すぐに刈り取られたササの道に打ち込まれた赤いポールに「火の用心」と書かれた小さな赤いプレートがあり、「柳ヶ瀬山←」の小さな文字もある。北へはササの中に踏み後が確認できた。時間があれば歩いてみたいコースである。

 東へ向かう。ササの道は次第に下り斜面となり、葉を落とした木々の間から山間の田園が見下ろせる。落ち葉の急斜面を滑らないように慎重に下る。アカマツの交じる天然林をどんどん下っていく。前方には横山岳や墓谷山が見える。テープの巻かれたヒノキ林を抜け、倒木を跨ぎ、左方向に歩いて、急斜面を折り返しながら歩く。左は紅葉の谷、正面には横山岳、眼前は紅葉の山、感動の連続。小鳥の群れが谷を渡っていく。一度、二度、三度とススキの薮を抜けた。ススキの種が舞い上がり全身に付く。スギ林を抜けて右山で下る。この辺りの展望もすばらしい。再びスギ林を抜けると林道に飛び出した。山頂から25分かかった。
 
 一息ついて林道を歩く。林道は未舗装で轍以外はススキなど草に覆われているが、まだ先ほど走ったと思われる車のタイヤの跡がある。林道はウリハダカエデの紅葉が美しく、また横山岳などの展望もあり、退屈しない。GPSと地図で位置を確認しながら歩く。往路で歩いた尾根が近づき、T字路に出た。合流した林道は草もなくよく利用されている道のようで、右に登れば往路で横断したところまで続いている。

 ここは左へ。右側の尾根の上は往路で歩いた道のようだ。GPSを見ながら歩くと、行きのトレースが近づいてきて、右側に入り込んだところに「頂上まで2000m」の標示が現れた。ここで往路のルートに合流。中谷山を通過して往路のルートを下った。林谷山分岐点まで下ると、休息してみえる男女4人パーティと出会った。挨拶を交わし、300m先の林谷山砦跡に向かう。
 
 落葉の緩傾斜を下っていくと「林谷山 毛受勝助家照兄弟の砦」の標示。さらにその先には徳山五兵衛の砦跡があった。砦跡らしく平らな地形となっている。タカノツメの黄色い紅葉が美しい。すぐに引き返して分岐点まで戻った。「金森長近砦跡 この下」の表示がある。谷に少し下りてみた。ヤマモミジの林があり、この紅葉も見事である。しばらく紅葉の林を眺めた。

 駐車場に戻ると車は3台になっていた。林谷山分岐点で出会った4人パーティの男性から「いつも見てますよ」と声をかけられた。初対面だっただけにびっくり。HP恐るべし。岐阜県の中濃からみえた皆さんで、我々と同じコースを歩かれたとのこと。「また、どこかでお会いしましょう」と車を見送った。

 行市山は思わぬ拾い物をした山だった。美しい天然林と見事な紅葉、大展望、そして歴史探訪。すばらしい晩秋の山歩きを楽しむことができた。余呉周辺にはまだまだいい山がある。帰路、ウッディパル余呉に寄って余呉トレイルマップを購入。前回、己高山で教えてもらった地図である。行市山から眺めた七々頭ヶ岳や墓谷山など、今後、登りたい山である。
★行市山からの展望

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