トレースマップはカシミール3Dで作成
*この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用しています。(承認番号 平17総使、第654号) 
平家岳からの展望を見る

平家岳 (1442m 福井県) 2008.11.2 曇り・晴れ 2人

面谷林道分岐点・駐車広場(7:44)→涸れた谷を横断(7:52)→稜線・日ノ谷コース分岐点(8:37-8:41)→28番鉄塔(9:08)→29番鉄塔(9:25)→30番鉄塔(9:37)→31番鉄塔(9:47)→32番鉄塔(9:58)→美濃平家岳分岐点(10:05)→井岸山(10:16)→平家岳山頂(10:33-11:53)→井岸山(12:06)→美濃平家岳分岐(12:13)→<美濃平家岳方向へ下る>→33番鉄塔(12:19)→34番鉄塔(12:33)→鉄塔管理小屋(12:38)→35番鉄塔(12:42)→<引き返す>→鉄塔管理小屋(12:47)→34番鉄塔(12:54)→33番鉄塔(13:10)→美濃平家分岐点(13:16)→32番鉄塔(13:25)→31番鉄塔(13:38)→30番鉄塔(13:45)→29番鉄塔(13:52)→28番鉄塔(14:02)→日ノ谷コース分岐点(14:20)→駐車地点(15:00)

 紅葉前線がかなり下降してきたこの連休に行く山を探した。あれこれ探しているうちに、平家岳が浮上。昨年、美濃平家岳に登ったとき、山頂北の大きく下る手前の37番鉄塔から見た雄大な平家岳と山頂に向かう登山者の姿が思い出された。登山口の情報を得るためにネットで下調べをしていると、思わぬ歴史的事実を知った。今回、平家岳を選んだ最大の理由もここにあった。

 登山口は、福井県九頭竜湖の南側に入り込んだ面谷の奥にある。面谷は昔、穴馬郷と呼ばれ、古くから鉱山で大いに栄えたが、大正時代にこの集落を襲った成金感冒と呼ばれるインフルエンザと、追い打ちをかける銅の暴落により、瞬く間に鉱山の町は消滅し、今では崩れかけた石積みと古びた墓地が残るだけという。大野の町から遠く離れた穴馬郷を襲ったインフルエンザの記録はすさまじいもので、これが強烈な印象となった。平家岳の魅力と同時に、面谷の鉱山跡を見てみたいと思った。

 東海北陸自動車道を北上し、白鳥ICから無料の中部縦貫自動車道に入り九頭竜ダム湖畔を西進。左折して、「夢の架け橋」と呼ばれる箱ヶ瀬橋を渡る。この美しい吊橋は瀬戸大橋の試作橋として作られたもので九頭竜ダムのシンボルとなっている。橋を渡って突き当たったら右折して湖畔のカーブが続く道を走るとすぐに面谷橋を渡る。渡り切ったところから左へ未舗装の面谷林道が面谷川に沿って続いているのでこの道に入る。入口に平家岳の標示がある。

 林道にはたくさんの水溜りがあり凹凸や石ころも多いが、ゆっくり走れば普通車でも問題はない。しばらく面谷を遡ると右側に1つの墓と石碑が現れる。土砂の積まれた山を見ながらさらに進むと、橋を渡って、樹木の少ない荒廃した崩壊地のような場所に出る。ガスが低く垂れ込めて、周囲の山々は見えないが、川の向こうには幾段にも築かれた石垣やコンクリート塊が見えた。これが面谷鉱山の跡のようだ。むき出しになった山肌は鉱毒の影響らしい。崩壊する斜面の下には大きな砂防堰堤が建設されている。廃墟と化した面谷をつめると、今度は古びた墓地が現れた。長文の書かれた石碑が2つあり、1つは面谷の由来、もう1は「南無阿弥陀仏」と書かれたものでインフルエンザが流行したときの鉱山の様子が克明に記録されている。文面は下山後にゆっくり読むことにして、コンクリート舗装の急傾斜を登る。林道が分岐しており、右の林道に「平家岳登山口」の表示。谷側には大きな空き地があり、数台駐車できるが、車は一台も無かった。なお、近辺にトイレは無い。
 
 靴を履き替えていると、ガスが消え始め、紅葉の山が現れた。朝日が当たって美しい。ちょうど紅葉の最盛期。今回も紅葉の山を期待して歩き始める。すぐ先にも空き地があり3台の車が停まっていた。先行者があると心強い。河川工事の重機を見ながらシロモジやウリハダカエデの落ち葉が散る草付きの林道を歩き、小さな谷を通過。さらに涸れた谷を渡る。黄色く色づいたシロモジを両脇に、尾根の道を登る。両側に谷があり、右側の谷には水が流れている。獣の臭いが漂う林を抜けると左に大きな岩があり、明るい道となる。岩に上るのは帰りにして、後方から陽を浴びながら登っていく。紅葉の中、イワウチワの艶のある葉がひときわ目を引く。
 
 ヒノキの幼木が多い尾根となる。後方に見える三角形の紅葉の山は面谷の東にある1246mピークであろうか。雨水でえぐれた赤土の道をジグザグと登っていく。右手の山肌の紅葉は天下一品。感動しながら登ると、樹木の途切れた尾根に出た。左右は切れ落ちた谷。目の前の錦の山肌に歓声が上がる。痩せ尾根のジグザグ急登が続く。ミツバオウレンの葉が見られる。日が差したり曇ったりの天気。海老茶色に紅葉したマルバノキがたくさんある。ここで大発見。マルバノキに赤紫のマンサクに似た花が咲いている。今まで、多くの山で紅葉のマルバノキを見てきたが、花に気が付いたのは初めて。帰って調べてみると、マルバノキの別名はベニマンサクで紅葉の時期に花が咲く。紅葉の色と花の色が同じなので気が付かなかったのかもしれない。それにしても、マルバノキが多いのには驚いた。
 
 ほとんどの木は雪で根元が曲がり、紅葉の早いもの遅いものが入り混じって朝日に輝く。急登の辛さも忘れて秋山の美しさに癒される。散ったばかりのミズナラの落ち葉の中に大きなドングリを見つけながら一歩一歩の登りが続く。なだらかになって稜線が近づき、空が広くなった辺りで大きなヒノキが現れた。面谷の盛衰を見下ろしてきた山の主に思えた。ヒノキの巨木から紅葉終盤の林を歩く。落ちたばかりの木の葉をカサカサと音を立てながら歩くのが気持いい。
 
 ヒノキから10分ほど右山で歩くとミズナラの立つ稜線に出た。左へ平家岳の表示がある。右にも鉄塔巡視路が続いており、九頭竜湖畔まで続く長距離の日ノ谷コースとなる。頭上に高圧線が走り、南の樹間には、これからたどる鉄塔が何本か見えた。パンと水分を補給して出発。やや下って稜線を左に外しながら、左回りにトラバースしていく。ヒノキの倒木を潜り、シロモジの黄色いトンネルを抜けると、稜線に出て、再び左山のトラバース。落ち葉に埋もれた小さな谷を直角に曲がり急斜面の登りかかる。28番鉄塔まで標高差150m以上を登ることになる。
 
 8割ほど葉の散ったブナ林を、落ち葉を踏みながらジグザグと登っていく。一気に標高を稼ぐ。後方には木々の間から九頭竜湖を埋める雲海が見える。ブナ林を抜けると大きく切り開かれた紅葉の潅木地帯に出た。前方に1本の鉄塔が聳える。時折、冷たい風が吹き抜ける。大展望地で、電線が邪魔ではあるが、眼下の日ノ谷から左右に駆け上がる紅葉の山々とその向こうの雲海がすばらしい。目の前の山は猿塚と言われる1221mピークのようだ。日ノ谷コースの長大な尾根が左にうねって雲海に沈んでいた。
 
 28番鉄塔に着いて、北の展望を中判カメラで撮った。この先、高台に次の鉄塔が見える。鉄塔の番号が鉄塔先端に取り付けられていることは、昨年の美濃平家岳で学習している。次は29番である。ササが広く刈り取られた道を少し下って登り返す。シャクナゲがあり、春には美しい花が咲くだろう。この付近はすっかり落葉して、グレーの冬の衣装をまとう山肌になっている。すでに標高1200m以上。29番鉄塔を通過して、2本が並んで立つ30番鉄塔を目指す。切り開きすぎではないかと思うほど広い伐採地を登っていく。雨水で溝状態になった赤土の道で、周囲には伐採で残された大きな切り株が白骨となってモニュメントのように点在している。
 
 30番鉄塔下に着くと目の前に穏やかな形をした山が目に飛び込んできた。ようやく平家岳が全容を現す。大きな山だ。まだ遠い。平家岳の左の小山が井岸山で、その左に31番鉄塔が2本立つ。針葉樹が点在する尾根を水平に歩き、一登りして31番鉄塔を通過。30番からたった10分歩いただけであるが、平家岳がかなり近くなったように思えた。先に見える32番鉄塔は50m程下に見える。ここから大きく下ることになる。下りにかかると鉄塔が続く方向に美濃平家の山頂が見えた。手前は37番鉄塔が立つピークで、昨年のランチ場所である。平家岳を見ながら溝状の道を一気に下る。井岸山がどんどん競り上がってくる。
 
 32番鉄塔を通過。正面の平家岳はより巨大になり平らな形に変わっていた。尾根道は左方向に向きを変えながら井岸山に向っている。鉄塔は32番から稜線を左に外し、美濃平家岳手前の37番を経て、昨年歩いた尾根に続く。左に電線と深い谷を見ながら稜線を歩くと分岐点が現れた。いくつもの赤テープが垂れ下がっている。左に下れば美濃平家岳に至る。ヒノキの根を跨ぎながら稜線を歩き、ササが刈り取られた道を登る。ナナカマドが赤い実をつけている。
 
 靴をどろどろにして、ぬかるんだ急斜面を登り切ると井岸山に到着。三角点に小さな標示板が取り付けてあった。平家岳はもう目の前。下山してくる2名の登山者が見えた。ノンストップで歩く。井岸山山頂の先から右に直角に向きを変えて真っ直ぐに下り登り返す。下る途中で2名の登山者とすれ違った。鞍部から急な一本道をゆっくり登っていく。青空に真一文字の白線を引きながら、飛行機がピークの上を通過していく。再び1組の夫妻とすれ違った。聞けば美濃平家岳を目指すとのこと。10時半であり、この時間ならダブル平家は十分にクリアできる。

 急斜面を登り切ると、展望のいいなだらかな道となった。北の空に真っ直ぐに線を引いたように青空が見える。右手には今歩いてきた稜線がすばらしい。30,31,32番鉄塔もミニチュアのように並ぶ。後方には美濃平家岳が丸い頭を見せる。谷を挟んで向こう側は岐阜県である。気持の良い尾根道を歩くと、行き止まりが小広場となっており、平家岳山頂だった。背の低い標示が三角点付近に取り付けてある。霞んで遠望はきかないが、それでも屏風山や能郷白山、荒島岳などが望めた。今日、カッペさんたちのオフ会登山が行われている左門岳も目の前にあった。

 パノラマ写真を撮ったら、山頂の一角でランチにする。メニューは焼きそばと缶詰。ランチの最中に、男女3名のパーティーが登ってみえた。金沢からの登山者で、東海北陸自動車道が完成したことから、岐阜県方面に登山エリアが広がったとのこと。山談義をしながら、1時間半ほどランチを楽しんだ。さらに3人パーティーが到着して賑やかになったところで山頂を後にした。

 美濃平家岳を見ながら平家岳を下る。正面に、昨年の美濃平家岳遠征の終着点である37番鉄塔が目の前に見えた。井岸山で10名ほどの団体さんとすれ違った。人気の山だ。時間は正午であり、予定よりも早く下山できそうなので、昨年のトレースに少しでも近づこうと、美濃平家方面に向うことにする。美濃平家岳への分岐点まで戻って、2人で作戦会議。ここから美濃平家岳へのルートは標高差120mほどを下って、37番鉄塔へ約200mを登り返す。鞍部に鉄塔巡視路のために建てられた小屋があることは、昨年、37番鉄塔から確認している。この時期、つるべ落としの日暮れを考慮して、3時半までに駐車地点に到着することにした。そのため、この分岐点に1時半までに戻ることにして、行ける所まで行くことに。
 
 斜面に付けられた細い道をトラバースしていく。今まで歩いてきた道に比べると、踏み跡は薄いが、迷うようなことはない。谷を巻いてブナ林を抜けると33番鉄塔の広場に飛び出す。潅木が一面に黄色や赤に紅葉して秋の陽に輝いている。この光景を見られただけでも寄り道をしてよかったと思った。鉄塔を通過すると再び急斜面のトラバース道となる。小さな谷や岩場もあるので慎重に歩いた。トラバースが終わる頃、登ってきた単独男性から平家岳への道を聞かれた。岐阜県側からのダブル平家はすごい。明るい尾根に出ると、再び若い男性とすれ違った。
 
 尾根を抜けて落ち葉に埋まった溝状の道を下ると、34番鉄塔の広場に飛び出す。ここもマルバノキなどが紅葉して美しい。37番鉄塔の立つピークは目の前だ。下には35番鉄塔が見える。道はさらに下って、葉を落とした美しいブナ林に入る。ササの斜面をジグザグに下って一気に標高を下げていくと立派な小屋が現れた。2階建てでヘリポートもある。小屋のすぐ下の35番鉄塔を通過。谷川の音が聞こえ、道はさらに下っている。周辺の紅葉がすばらしい。時計を見て、37番鉄塔を見上げた。37番鉄塔を往復するには1時間くらいかかりそうだ。昨年のルートにつなぐには後一歩であるが、寄り道はここまでとして引き返すことにする。34番鉄塔から尾根道を歩くと、正面に大きな井岸山が見える。ササの緑が美しい。33番鉄塔からは、これから歩く31番鉄塔の立つピークが雄大に望めた。このピークは小平家と呼ばれている。
 
 予定よりも15分ほど早く分岐点に戻った。1時間の寄り道であったが、美しい紅葉やブナ林、井岸山や小平家のすばらしい景色を望むことができた。帰路は登ってきた道を引き返す。32番鉄塔からの登り返しもさほど辛くなかった。後方から下ってくる団体のパーティーの声が聞こえた。秋の午後の日差しに、周辺の山々は錦の織物のように美しい。特に28番鉄塔下から見る日ノ谷の紅葉は滅多に見られない美しさだ。九頭竜湖の水源地である広大な天然林が眼下に広がっていた。日ノ谷コースの分岐点から面谷側の急斜面を、すばらしい紅葉を楽しみながら下り、林道に下り立った。駐車場に戻ると、まだ車が4台残っていた。

 帰路、墓地の石碑を読み、面谷鉱山跡を眺めながらゆっくりと車を進めた。岡山氏の談を基に書かれた感冒流行時の記録は心に残るものであった。すでに日が落ちた谷は、周辺の山々の紅葉に包まれ、谷川の音が響いている。瓦礫の廃墟を見ていると、家々が連なる当時の鉱山の様子がイメージできた。人が築く歴史は塗り替えられ、人工物は自然の力に消されていくが、面谷の山々は人がこの地に住み着いた頃にも、秋には美しい紅葉に染まっていたに違いない。平家岳の美しい自然がいつまでも残り続けることを願いながら、面谷を後にした。
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