涸沢周辺の展望と地図を見る
涸沢 (約2300m 長野県) 2007.4.29-30 晴れ 2人

<1日目>
平湯アカンダナ駐車場(4:40)→上高地行きバス発車(4:50)→上高地(5:20-5:40)→明神(6:31-6:50)→徳沢(7:41-7:58)→横尾(9:01-9:35)→本谷橋【昼食】(11:08-12:22)→涸沢ヒュッテ・テント場(14:47)
<2日目>
涸沢テント場(10:06)→本谷橋(11:15)→横尾(12:26-12:51)→徳沢【昼食】(13:45-14:15)→明神(15:00-15:06)→上高地バスターミナル(15:51)→バス乗車(16:00)→アカンダナ駐車場(16:30)

 涸沢は母なる大地。天に抜ける荒々しい穂高の峰が砦のごとく取り囲むカールのどん底は、北アルプスの聖地。大自然が支配するすり鉢の底は、時には人を寄せ付けぬほど荒れ狂い、時には誰をもやさしく受け入れる癒しの空間を作り出す。厳しくも美しい涸沢はアルプスの原点。あの冷たい大地に身を沈めて、空を突き刺す山を見上げるために、涸沢に行きたい。

 この連休は、前半に1泊2日の山行を予定し、昨年できなかったテント泊を計画。行き先は涸沢を選んだ。春の涸沢は3年前に初めて訪れて以来、あの美しさを忘れる事はできない。テントをかついでの長い歩行距離が難点である。予定が変わり、連休直前に2泊3日の山行が可能となったことから、楽をしようと歩行時間の少ない立山に計画書を変更した。ところが、28日は大荒れの天気予報。急遽、前日に29日発の1泊2日で再び涸沢に変更。

 28日の午後、自宅を出て、せせらぎ街道経由で平湯に向かう。天気予報どおり、積乱雲が湧き上がり、時折、雨が落ちてくる。坂本トンネルを抜けた途端、大粒の雹が降り注いだのには驚いた。おそらく山は大荒れであろう。1日遅らせて正解のようだ。平湯に早く着いたので、温泉卵を味わいながら温泉街を散策した。ここでもあられが降っていた。アカンダナ山上部は白く雪化粧しており、笠ヶ岳方面は厚い雲に覆われている。

 いつものように安房トンネル手前の駐車場で車中泊して、翌朝のアカンダナ駐車場4時50分の始発のバスに乗るよう、4時前に起きた。車内はかなり冷え込み、フロントガラスの内側の水滴が凍りついていた。霜取りプレートで内側の霜を削ったのは初めて。あれこれしてアカンダナ駐車場に着いたのは、4時40分頃。既にバスが到着しており、大急ぎで上高地の往復切符を買って、観光客でほぼ埋まったバスに大きなザックを引っ張り込んだ。

 平湯バスターミナルを経由して、30分ほどで上高地に到着。思ったより登山者は少ない。登山届けを提出して、梓川沿いに歩き河童橋へ。雲1つない空に穂高の真っ白な峰が映える。ここから、いつものように横尾までの長い林道歩きが始まる。久しぶりの大型ザックに肩が痛い。

 昨日降った雪で周囲は次第に雪景色になっていく。残雪も多い。路面の水溜りは凍りついており、昨晩は相当冷え込んだようだ。3年前はニリンソウが咲き始めていたが、その気配は全く無い。西穂が後方に下がり、巨大な明神岳が左手に迫る。明神、徳沢と約1時間ごとに休憩。今回は休憩時間が長い。最近、本格的な山歩きをしてなかっただけに、いきなりテント泊の重装備は身体にこたえる。横尾に近づくにつれて、残雪も多くなり、雪の上を歩く。徳沢・横尾間は相変わらずこの時期、落石が多い。運が悪いと、巻き込まれる。落石の多いところは早足で通過。

 雪景色の横尾へ到着。つり橋にも薄く雪が積もっていた。明神岳方面の峰が朝日に輝いて美しい。横尾は大勢の登山者で賑わっていた。3年前よりは雪が多いと話していたところ、隣で休息中の登山者から「昨年よりはかなり雪が少ないですよ。多いときは、横尾と書かれた標識が雪に埋まっていますよ。」とのこと。そういえば、4年前に蝶ヶ岳に登ったとき、横尾にはもっと雪があったかな。

 昼食用の水を補給して本谷橋に向けて出発。下山してくる登山者は水浸しである。樹木に積もった雪が朝日で融けて落ちてくるようだ。川原で濡れてもいいようにジャケットを着る。らくえぬは暑いと長袖Tシャツ1枚。登山者が多く、路面の雪も次第に緩んできた。明日の下山時は、ぬかるみ状態になるに違いない。予想通り、頭上から雪解けの水が落ちてくる。たいした登りではないが、さすがにジャケットを着ていると暑い。暑さに耐え切れず濡れるの覚悟でTシャツ1枚になった。

 下山者の話では、昨日の涸沢は大荒れでテントが張れる状態ではなかったそうだ。今日の朝はすばらしい天気らしい。28日に入山しなくてよかった。前方に白い峰が聳え、後方にはなだらかな蝶ヶ岳が望める。本谷橋が近づき、谷が迫ってきた。雪の斜面のトラバースが続くようになる。道幅が狭いだけに、滑らないように慎重にクリヤーしていく。アイゼンを付けた下山者が増えてきたので、この先、雪道が続くと判断してアイゼンを付けた。

 すぐに本谷橋に到着。この時期、橋は撤去されており、谷は一面雪に埋まっている。3年前は雪が少なく、谷を渡らずに直進して、本谷から涸沢へと谷底を歩いたが、今回は夏道と同様に本谷橋の架かる場所で谷を渡ることができた。何人かの登山者が休憩中。いつもの本谷橋の混雑ぶりからは想像できないほど人の数が少ない。混雑するのは連休後半のようだ。谷が迫っており、北側にはデブリの跡。南側は屏風の壁が迫って、あまり気持ちのいい場所ではないが、ここでランチにする。いつものようにインスタントラーメンを作った。自炊をしている人は誰もいないのがおかしかった。

 さて、これからが本番。夏道ルートでこの時期に登るのは初めてである。谷の斜面を斜めに登ると、立ちはだかる雪の急斜面に人が張り付いていて、直登している。時計回りに迂回路のトレースもあるが、誰もが直登している。ストックをピッケルに替えて斜面に取り付き、一気に30m程を登りきった。登りきると、本谷に切れ落ちる斜面に踏み跡が続く。左山で斜面のトラバースが始まる。

 右側は深い本谷であり、斜面の道幅が狭いので、アイゼンを引っ掛けないように慎重に歩いた。下山者に道を譲ってもらい、追いついた登山者に道を譲る。コメツガの樹林帯を抜けて、トラバースが続く。なだらかな登りであるが、荷物が重く、結構バテてきた。左山でのトラバースは折り返して右山となり、すぐに折り返して小さな谷をトラバースして、向きを南方向に変える。ちょうど本谷から涸沢へ谷を移す地点である。

 潅木の間を抜けると、正面に前穂とその北尾根が堂々たる姿を見せる。その鋭利な峰は雪が飛ばされて、真っ黒な肌を覗かせる。薄いはけ雲が青空にぼかしをかける。燦然と輝く太陽の光が、涸沢の谷から駆け上がる雪面に降り注ぐ。以前は本谷橋を渡らずに本谷を歩き、分岐する涸沢の谷底を遡った。ちょうど右下の谷底を歩いていたことになる。谷にはスキーの跡も見られた。

 この先、涸沢に沿って直進し、屏風ノ頭が迫ったところで右に向きを変えて涸沢ヒュッテを目指すことになる。アリの行列ように続く登山者が見える。左の斜面から雪玉がコロコロと転がり落ちてきた。転がり落ちた雪の跡が無数の線を描く。見上げれば垂直に聳える岩壁が、まるでバベルの塔のごとく空に吸い込まれている。恐ろしい場所を歩いている。夏には樹木に覆われて周囲の様子が全く分からないが、この時期、地形の状況が明瞭に把握できる。夏道はこの辺りを通っているのであろうか。

 この美しい光景に、辛さも忘れて、ゆっくりモードでピッチをつかみ、写真を撮りながら歩く。ダケカンバの林を抜けて、目の前に前穂北尾根が近づく。ゆるやかなカーブの吊尾根が、そして奥穂高岳が次第に姿を現す。右に回りこんだ人の列の先には涸沢ヒュッテの屋根とこいのぼりが小さく見える。そして、奥穂に向かってうねる広大な涸沢の谷には雪の塊がごろごろところがっている。どのようにできたのだろう。どこから落ちてきたのだろう。まるで月面を思わせる光景が広がる。大昔、涸沢のカールを作り上げた氷河のイメージが重なった。

 雪の奥穂がニスで塗り固めたようにピカピカと光っている。氷の山だ。実に雄大な光景に圧倒される。時折、強い風が吹き、暑い体には気持ちがいい。風に飛ばされて谷底に落ちていった男性の帽子を、颯爽と滑ってきたスキーヤーが拾い、男性に届けられた。

 屏風ノ頭直下で、前穂から奥穂に照準を変えて、いよいよ涸沢ヒュッテまでの最後の直線コース。ゴールはこいのぼり。近くに見えてこれが遠い。壮大な光景に癒されながらも、さすがに疲れてきた。誰もが苦しそうに登っている。立ち止まる回数が増えてきた。斜度が増しヒュッテが手前の斜面に隠れた。この急傾斜で一気にピッチが落ちる。登りきると、ヒュッテが間近。右の谷には氷の起伏が波打つ。10m歩いては立ち止まる。3年前も同じ状況だったことが思い出された。

 「ヒュッテでビール」と言い聞かせながら、気力で足を出す。ザックがますます重くなった気がした。立ち止まって目の前の穂高を見上げると、稜線から雪煙が巻き上がって、白いのろしを上げているではないか。この白煙が空に舞い上がって、穂高が燃えているようにも見える。我々を歓迎して、手招きしている。

 シュプールの美しい左の斜面に上がると、前方で人の列が2つに分かれている。左は小高い雪の丘にあるヒュッテに向かう。右はテント場を経て涸沢小屋へ行くコースである。標識のあるこの分岐点から右に入り、テント場を目指す。テント場は目の前だが、まだまだ遠い。息を切らして、やっとのことでテント場へ。ここから見る北穂はいつも最高に美しい。

 以前に比べればテントの数は少なく、まずは設営地を探す。ビールで一息入れたいところであるが、寝る場所の確保が先。ザックをかついだまま、あちこち歩いて、ヒュッテに近く、風上に雪のブロックがあり、展望のいいところという、贅沢な要件を満たす場所を見つけた。連休前半とあって、空いたサイトは無く、凹凸のある雪面を平らにする作業に取り掛かった。

 ピッケルで硬い氷のブロックを削り、ミニスコップで均す。この土木工事が疲れた身体にこたえる。隣のテントの男性から大きなスコップを貸していただき、大いに助かった。木を十字に組んで、硬い氷の路面を掘って埋め込みテントを固定した。風も無く、順調にテントを組み立てた。

 1人1泊500円。2人で1000円。許可証をテントに設置。昨年のゴールデンウィークに春山に持ち込む予定であったこいのぼりをテントに掲げた。1年越しのこいのぼり登山の念願がかなう。テント内にザックを放り込んでシュラフを広げた。陽はすでに涸沢岳の峰に隠れ、前穂の頭や屏風ノ頭、東天井の峰などに西陽が当たってきれいだ。

 陽が落ちると、路面は凍り、ザラメ状態のさらさらの雪に変わった。暗くなる前に、夕食を済ませることにして、ヒュッテの軒先のテーブルに炊事用具と食材を持って移動。テーブルで食事をする人はわずかで、1つのテーブルを2人占め。ヒュッテの自販機でビールを購入した。ヒュッテ名物のおでんの屋台は閉店していて残念。

 今回のメニューは味噌鍋。肉や野菜、サバ缶などを味噌で煮込んだ。ビールがうまい。ビールの後はホットバーボン。青い海に沈んでいく涸沢を全身で感じながら、至福のとき。前穂北尾根から満月に近い白い月が昇ってくる。テラスでハーモニカを吹く人、夕闇迫る穂高の写真を撮る人、仲間と夕食を楽しむ人、・・・。涸沢はいい。

 テラスの蛇口からは水が出ないので、ヒュッテのロビーで無料で水を汲むことができる。穂高の沸き水だそうだ。携帯電話は通じないので、カード式公衆電話で自宅に無事を告げた。月明かりの道をテントへ戻る。青白いカールにはテントがカラフルに散らばり、北穂の下には涸沢小屋の明かりが輝く。涸沢槍の真上にクリスマスツリーの星のように大きな宵の明星が輝いていた。

 テントにもぐりこんでインナーやダウンンベストを着込んで、足の指先にはミニの使い捨てカイロを貼り付けた。らくえぬは背中にもカイロを貼っていた。シュラフの足元はザックに突っ込む。時折、強風がテントを揺らす。3年前の夜は強風が吹き荒れた。天候の急変に備えて、靴もテントの中に入れた。隣の住人の賑やかな声を聞きながら、背中で雪の感触を楽しみながら眠りについた。深夜、背中が冷たくて目が覚めた。やはり背中にもカイロを入れるべきだった。ジャケットを重ね着して暖かくなった。

 朝、4時過ぎ。周囲のざわめきで目が覚めた。稜線を目指す登山者の足音が聞こえる。ウトウトしていると、周囲が明るくなり始めた。テントのファスナーを上げると、今日も雲1つない天気。中判カメラを首にかけ、カイロをポケットに入れてモルゲンロートの撮影に出かける。たくさんの三脚が並ぶ氷の高台に上がって、北穂や奥穂の赤い山肌に向けてシャッターを切った。シャッターを切る指先が冷たく、ポケットのカイロで温めては写真を撮る。刻々と色を変えていく光と影の大自然の芸術は何度見てもすばらしい。

 テントに戻って朝食の準備。アルファ米で作った卵入り鮭雑炊がメニュー。涸沢の谷を見下ろしながらモーニングコーヒーを楽しんだ。テント近くの道がツルツルに凍っており、朝食中に10人ほどが転倒。皆さん、凍っていることが分かっており、滑らないように歩いても転倒するのがおかしかった。

 10時を出発時間と決め、1時間ほど周辺を散策することとし、アイゼンを付けてテント場が見下ろせるザイティングラード方向に登ってみた。すでに多くの登山者が奥穂を目指して雪の急斜面を登っている。北穂への列も見える。もう1日余裕があれば稜線まで登ってみたいところである。心残りのないように絶景を楽しみ、テント場に戻って撤収。風もなくテントの撤収は容易であったが、氷の地面を掘り返して埋め込んだペグを抜くのに難儀した。

 朝から暑い。今日も長袖Tシャツ1枚で下る。大展望を目の前に広大なカールを下る。カール途中までは中判カメラで写真を撮りながら下った。登ってくる登山者は皆苦しそうで、昨日の我々と同じ状態。「後どれくらいですか」と時間を聞かれることもしばしば。先が見えているだけに時間が気になるようだ。雪は溶け始めており、本谷沿いのトラバ−スは登りよりも慎重に歩く。本谷橋手前は迂回路を下った。明日からは連休の中休みであり、登ってくる人は少なく、本谷橋もがらんとしていた。

 本谷橋から横尾の途中でアイゼンを外し、ぬかるんだ道を下って、バテバテで横尾へ到着。計画では、ここでラーメンを作る予定であったが、とても自炊をする気になれず、缶ジュースを飲んで30分ほど休憩し、雪と落石の悪路をダラダラと歩いた。アイゼンをパッキングして重くなったザックで、肩や首が痛い。つま先も痛くなってきたが、気力で徳沢へ。

 徳沢の店で日本そばの遅い昼食。生き返って、この先、まずまずのピッチで歩いたが、ゆるやかな登りでもきついのはいつものこと。西穂が見え始めると上高地は近い。道端で遊ぶサルの群れに出会う。ニリンソウやハシリドコロの芽が伸び始めており、間もなく花の道になるであろう。花の無い道沿いで、真っ赤なキノコが目立った。ベニチャワンタケのようだ。

 多くの観光客に混じって河童橋到着。逆光の焼岳が佇んでいた。バスを待つ長蛇の列を予想して、バスターミナルに直行。平湯行きの列に並ぶと、ちょうど16時発のバスが到着するところで、待ち時間無しで乗り込むことができた。疲れた足を引きずってアカンダナ駐車場への階段を登り、アスファルトの上に座り込んで靴を脱いだ。くたびれたが、2日間、すばらしい天気に恵まれ、最高の涸沢を楽しむことができた。春、夏、秋と何度でも訪れたい場所である。母なる大地、涸沢はアルプスの原点であることを再認識し、白い笠ヶ岳に見送られて、平湯を後にした。

 涸沢は春山の初心者コースと言われるが、標高2300mのカールは冬。十分な装備はもちろん、できれば経験者と一緒に登られたい。好天の予報でも、山の天気は変わりやすい。また、斜面のトラバースでの滑落や雪崩の危険もある。万全の態勢と慎重な行動のもと、お金では買えない春の涸沢の魅力を満喫されたい。
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