涸沢岳から下る
春の北ア大展望
 今日も、屋台のおでんとビール。ナベを肴に飲むビールやバーボンがうまい。それぞれ単独の2名の男性と相席し、山談義。熟年の東京から来た男性から、「抹茶は点てられますか」と聞かれた。なんとコッヘルに混じって本物の抹茶茶碗が出てきたのには驚いた。らくえぬが20年ぶりに抹茶を点てた。茶菓子の羊羹付きで、こんなところで美味しいお茶がいただけるとは思いもしなかった。槍ヶ岳の山頂でも点てたこともあるそうだ。もう一人の若い男性は静岡出身で山岳部に所属していたベテランの方。

 1時間ほど話しをして寒くなったので皆さんと別れ、ヒュッテで明日の天気予報を確認した。午後から雨の予報。早めに下ることとし、テントに戻った。昼間の暖かさで雪が融けていたため、ペグを埋め直した。風に備えて、ストックを短くして細引きを縛って横向きに雪に深く埋め込み、テントの補強をした。

 10時頃、風の音で目が覚めた。山側からかなり強い風が断続的に吹いている。外はガスが出始めていた。風の音で熟睡できずウトウトしながら0時ころに再び目が覚めた。風は依然として強い。トイレと併せてテントの周りを点検した。その後、1時間毎に目が覚めた。

 風はますます強くなっていくようだ。時折、強烈な突風が襲ってくる。「バタバタバタ・・・」 山側のテントから順に風が当たる音が大きくなってくる。「来るぞ来るぞ」 「バシッ」 ものすごい音をたててテントに風がぶち当たる。テントがゆがみ、風圧が顔に当たる。天井からつるした手袋が大きく揺れ、羽毛がフワフワと舞っている。そして、いまの衝撃がウソのように静まりかえる。遠くで「ゴーッ」といううなり声が聞こえる。今の風が涸沢を下り屏風の頭辺りからカールを巻いて戻ってくるような気がした。静けさの後、再び山側のテントのなびく音が聞こえる始める。「バタバタバタ・・・」「来るぞ」「バシッ」「ゴー」 この繰り返しが、幾度となく繰り返された。

 何度かに1回、強烈な風が来る。フライが飛ぶのではと思い、何度も顔を出してフライの確認をした。雨がたたきつける音も聞こえ始めた。懐中電灯の光が行き来し、話し声も聞こえてきた。周囲のテントも眠っているどころではないようだ。眠ったのか眠らなかったのか、天井のポールのクロスを眺めているうちに不思議な感覚を覚えた。薄い布の向こうは猛烈な風雨。地面は深い雪。暴風雨の厳しい涸沢の大自然の中にいるのかと考えると、何か楽しくなった。

<3日目>
 4時頃、明るくなり始めた。山にはガスがかかっていた。朝食に火をおこす気分になれなかったため、風圧でふくらむテントを背中で押さえながら、フランスパンにツナマヨを乗せ、ポカリスエットで簡単に済ませた。早めに撤収することとし、まずはテント内でシュラフやマットをたたみパッキングをした。テント内を空にして、外に出ると風はあいかわらず強いが、幸運にも雨は止んでいた。

 ザックを外に出し、テントが飛ばないように、フライを外さないままポールを抜いた後、ペグを外してテントの上に乗って畳み、ザックの一番上に押し込んだ。ヒュッテに許可プレートを返却し、テラスでアイゼンを付けた。昨日出会った静岡の単独男性もこの天候のため今日下山するという。互いに写真を撮り別れた。奥穂高目指して登る人影は僅か。この時期、夏山と違い無理は禁物。

 たなびく鯉のぼりを後に、登ってきた道を下る。涸沢を少し下ると風もなくなり、雪はやわらかく、軽快にアイゼンをきかせて下った。横尾谷を渡るところでアイゼンをはずし、融けた雪でどろどろになりながら谷川左岸を歩いた。腹が減ってかなりバテ気味に横尾到着。朝食に食べる予定だった雑炊を作って食べた。

 上高地まで、次第に増えていく観光客に混じって歩く。帰路、少しの登りでも辛いのはいつものこと。新村橋から対岸を歩いてみたいといつも思うが、すこしでも距離の短いコースを選んでしまう。長距離を歩いた後だけに、この夢は当分実現しないだろう。道の脇にはニリンソウやハシリドコロが咲き始めていた。

 上高地に着いて、バス停に直行。パラパラ小雨が降り始めたこともあり、バス停が大混雑。平湯行きは沢渡行きに比べれば待つ人は少ないが、広場から梓川まで列ができていた。バスを待つ人の列に登山者は少なく、大きなザックはよく目立った。「何キロありますか?」と聞かれた。何キロあるんだろう? 次回は計ってみよう。

 30分ほど待ってバスに乗り、平湯バスターミナル経由でアカンダナ駐車場まで直行した。駐車場の階段を上り、車に着いた時には実に充実した最高の気分。今回も天気に恵まれすばらしい山行であった。平湯の温泉に寄ったが、どこも超満員のため、平湯トンネルを抜け「ジョイフル朴の木 宿難の湯」に寄って汗を流し、サクラが満開の奥飛騨を後にした。

 夏も秋も涸沢はすばらしいが、春の涸沢はさらにすばらしい。稜線に登らなくても、雪の涸沢でのんびりとくつろぐだけで十分。涸沢までなら冬の装備で望めば初心者でも訪れることができる。天気が悪ければ無理をしないこと。時間に余裕を持って登りたい。白銀のカールと青空に聳える穂高の大パノラマが待っている。
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