トレースマップ(カシミール3Dで作成)
古城山 (408m 山県市) 2005.1.22 晴れ 2人
大桑養蚕団地・広場入口(8:28)→登山口(8:38)→番所跡(9:07)→杉坂峠分岐・稜線(9:15)→霧井戸分岐(9:22)→古城山山頂(9:30-10:32)→杉坂峠分岐(10:41)→登山口・林道合流(11:05)→広場入口(11:10)
古城山と呼ばれる山は美濃地方に2つある。旧高富町と美濃市にあり、どちらも1時間ほどで登れる低山である。おもしろいことに、この2つの山はほぼ東西の直線上に位置しており、この間に、汾陽寺山、権現山、天王山、誕生山の4つの低山が一直線に並ぶ。これを古城山ラインと呼びたい。
これらの山はどれも初級者向きであり、美濃の山の歩き始めに誰もが必ず登る山々である。我々も、これら6山を登っているが、2つの古城山はまだレポートしていない。今年の初レポート山行として、まずは西の古城山を選んだ。
1月の休日は多忙。22日も午前中のみが空き時間。天気予報も好天に変わった。前日に思い立って、午前中に勝負することに。長良川を北に渡り山県市に入る。高富町と美山町への分岐点に突き当たったら、左へ。田園の中の2車線道路を北上。道は次第に西に向きを変えていく。
左手に高富運輸の茶色いビルがある交差点を右折して直ぐに旧道を横断し、大桑集落を目指す。大桑集落を抜け、道は西方向へ。右前方に低い山が迫った市洞集落手前辺りで北への道を探しながら走ると、古城山登山口の看板がある三叉路がある。市洞からの登山道の廃道を知らせる比較的大きな看板も設置されているので見逃すことはない。また、登山口への途中にはいくつかの福祉施設があり、「椿野園」や「三幸苑」などの案内表示に従っても良い。
この三叉路を右折し、福祉施設群を通り抜けると桜並木が一直線に続く農道となる。正面に連続して繋がる山並みのほぼ中央の山頂が古城山である。目の良い人なら山頂のミニチュアの城が白く輝いているのが見えるかもしれない。桜並木を抜けると大きな広場がある。奥には養蜂の箱がたくさん積まれている。農道は広場で右に曲がり、右手の山に上がり谷合へと抜けるようだ。広場の手前西側の大桑養蚕団地の古い建物を左に見ながら、車で登山口のある林道に入りかけたが、倒木で進めないので、バックして広場入口の古城山の案内坂の横に駐車。周辺にトイレは無い。
12月に降った雪が残っており、広場は真っ白。雪の上で靴を履き替えて、朝日を背中に受けながら林道を西へ歩く。イノシシを捕獲するためのくくりワナが仕掛けてあるとの注意書きがあり、この辺りから山に入らないほうがいいようだ。いくつかの倒木を除けながら、林道は小さな谷を渡って左に向きを変え、スギ林に入る。日陰で雪が融けずに、凍りついていた。雪に埋もれたベンチの横にたくさんの杖が置かれ、また雪の上にいくつかのトレースも残っている。登る人が多いようだ。
この山は別名「金鶏山」と言われ、戦国時代には、この山に美濃の守護であった土岐頼芸の城があった。歴史のある里山である。ここから200m程先で林道は怪しくなり、右へ山道が上がっている。入口には古城山登山口を示す標柱やプレートがある。最近、熊が目撃されているので注意と書かれた表示もあり、熊鈴を付ける。
雪のない南斜面をコナラの落ち葉を踏みながらジグザグに登っていく。10分弱登ると尾根に出て、「古城山登山口」の表示。途中に登山口とはおかしな話しである。この尾根を左に下ると、廃道となった市洞へ抜けるコースのようだ。ここから北へ向きを変えて尾根歩きが始まる。冬でも枯れない青々したシダが道を覆っている。ウラジロの仲間のコシダという種類で、乾燥した明るい赤松林などに群生する。松食い虫で枯れた赤松の疎林を歩く。
12月の大雪が倒木に拍車をかけ、いくつかの倒れた木を潜ったり乗り越えたり。尾根の右側を歩く所もあるが、すぐに尾根に戻る。適度な間隔で登山道を示すプレートが設置されている。左山でふかふかの落ち葉や山栗のイガを踏みながら天然林の中を歩く。
やがて道は右に折れて平らになる。右には木々の間から雪化粧した大桑の集落や百々ヶ峰などが望めた。再び回り込んで北を向く。ソヨゴがたくさんの赤い実をつけている。右手前の稜線のピークにミニチュアの城が見えた。古城山山頂である。やがて凍り付いた雪が地面を覆い、木製の看板が現れ、「番所跡」と書かれてあった。
番所跡から右へトラバースして数分で稜線に出た。左へは「金鶏滝分岐経由 杉坂峠」の表示があり、ガイドブックの地図が張ってあった。杉坂峠への道の残雪にはトレースが無く、踏み跡は薄い。時間があれば、帰路は杉坂峠まで歩いてみたいところである。
東に向かって稜線を歩くとすぐに「能郷白山眺望」の表示。能郷白山が大黒山の向こうに純白に輝いている。その右にはいつもの形の舟伏山が白く大きい。左の白い山は雷倉であろうか。ここから10mほど先で迂回路の表示。右の稜線コースに入る。一登りして平らなピークに出た。この平らな場所には昔、何か建物が建っていたと思われるような場所である。
ピークから一気に下って本コースに合流。すぐに霧井戸の案内板。「国盗り物語ゆかりの地」とある。この山にあった城は、斎藤道三の焼き討ちにより滅ぼされたと言われている。霧井戸へは常緑広葉樹の中の急斜面を下らなければならない。100mほど下るようだ。
倒れた木を迂回して、山頂への最後の登りにかかる。北側から雪を踏んで登ると、「皇太子殿下新宮様御誕生記念 古城山登山記念植樹 2001年12月16日」の木柱。そしてすぐに山頂手前の広場に到着。ここに城があったのであろうか。大きな石碑と青いトタン屋根の小さな社があった。右手の斜面の先には背丈の倍ほどあるミニチュアのすばらしい城が朝日に輝いていた。城の裏には小さなドアがあり、側面に記帳ノートが設置してある。北側には大桑小学校に登頂記念プレートがいくつか掛けられている。
山頂はこの城から北へ20mほど歩いたところにあった。二等三角点があり、山名表示板には三角点の詳細な説明書き付けられている。地面の下に60cm埋まっているなど、図面も描かれている。木立の中の山頂ではあるが、雪に埋まったベンチからは高賀山、瓢ヶ岳、今淵ヶ岳の高賀三山が目の前に見える。手前の単独峰は相戸岳。
城の前に戻って、南側180度の眺望を楽しむ。百々ヶ峰、金華山、眉山、城ヶ峰など濃尾平野に並ぶ最前線の低山の山並みが美しい。東には遠く丸い恵那山の美しいシルエット。西には池田山の向こうに白い伊吹山。いつまで眺めていても飽きない。戦国時代に、頼芸はこの山頂から今と全く変わらない山並みを眺めていたに違いない。
風もなく一月とは思えぬ暖かな日差しの中で、大展望を楽しみながらコーヒーを沸かした。大桑という地名は桑の葉のように入り組んだ地形から名付けられたと聞いたが、ここから見るとその状況がよく分かる。田園の雪原がまぶしく光っていた。
誰も登ってこない山頂で一時間ほどのんびりして、来た道を、かなり緩んだ雪を踏みながら下った。40分ほどで駐車地点に到着。広場から見上げると青空に小さな城が輝いていた。一時間で登れる里山であり、展望もいい。歴史探訪を兼ねての山旅。時間があれば霧井戸に寄ってみるのもいい。今度来る時には、杉坂峠からのコースを歩いてみたい。
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