カシミール3Dで作成
*このHPの地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用しています。(承認番号 平17総使、第654号)
三井山 (108m 各務原市) 2006.3.26 薄曇り 2人
叔父の家が三井山の近くにあった。小学生の頃、日曜日には釣り好きの叔父に連れられて、三井山の麓にある三井池によく釣りに出かけたものである。叔父はマッシュポテトを練ってヘラブナを狙ったが、子どもたちはうどん粉にサナギ粉を混ぜて3号針で小魚を釣った。当時、三井池は、御井神社周辺以外、全く整備されておらず、草を分けて釣り場所を確保し、クロモの隙間に針を落とした。モロコやハエが面白いように釣れた。時折、虹色に輝くセンパラ(タナゴ)も上がってきた。ウシガエルが鳴き、ライギョが水面を跳ねた。三井山を写す水面から、銀鱗の白ハエをごぼう抜きする感覚は忘れることができない。今では当時の面影は無く、公園として整備された池となっている。だが、水面に映る三井山の姿は今でも当時のままだ。
桜の花見には少し早いが、久しぶりに超低山の三井山に登ってみることにした。三井山は各務原市の21号バイパスの南の新境川にある。ちょうど航空自衛隊岐阜基地の飛行場の南西に位置している。開発が進み、山の東側は削り取られて、見るも無惨な様相となっているが、住宅化が進む田園の中で、貴重な自然を残す山でもある。
また、この山には室町時代に城が建てられ、城主は三井郷の領主であった三井弥市郎が築城したと言われている。美濃国内で守護大名の土岐氏と守護代の斎藤氏の内乱により、尾張の国から織田信秀が天文17年(1548年)に攻め込み、三井山城は落城し、廃城になったと言われている。現在は各務原市の公園となっており、ハイキングコースが整備され、簡単に山頂まで登ることができる。ハイキングコース沿いには本丸跡や、曲輪跡などの遺構が残っている。
各務原市街地から新境川右岸堤防を南下。一旦、左に三井山を見ながら通過して、信号機のある交差点を右折して橋を渡りすぐに堤防を左折。正面に東側がかなり削り取られた三井山を見ながら、左岸堤防を北に走る。堤防東側は造成中で、排水機場であろうか、白壁・土蔵風の大きな建物が建設されていた。その向こうにはカルビーの巨大な工場群。三井池周辺の美しい田園風景は跡形もない。三井池に祀られている龍神様も、さぞ寂しいことであろう。
大きく膨らんだ蕾の桜並木堤防を直進し、突き当たったロータリー横の3台ほどの小さな駐車場に車を停めた。桜はかなりの大木であり、開花すれば大勢の花見客で賑わうにちがいない。登山口は2つあり、2つの道は山頂で合流する。周遊ができる。今日は、左回りに歩くこととし、東側の道に入った。山頂まで440m。わずかな距離である。山腹を緩やかにトラバースする広い遊歩道には丸木の階段が整備されており、3〜4人が並んで歩ける広さである。
100mほど歩くと、左の一段高いところに、40体ほどのお地蔵様が並んでいた。左右にコシダを見ながら、カシやコナラの落ち葉を踏んで歩くと、右からの道と合流。この道を下れば、三井池へ下ることができる。ご夫婦がドングリを拾ってみえた。「古いのばかりで・・・」 この時期、あまりきれいな実は落ちていないようだ。
道はフェンスに当たり、折り返す。騒音が聞こえてくる。フェンス越しに東を見下ろすと、採石場のベルトコンベアが見えた。その向こうの緑色の建物はカルビーのポテトチップ工場である。折り返して100mほど登り折り返すと、再び先ほどのフェンスに当たる。その手前左に鎖で入れないようにした、小さな横穴があった。三井山古墳と書かれている。
市教育委員会の案内板によると、この古墳は、1400年ほど前の古墳時代後期に作られたもので、墳丘は直径10メートル、中央部には山石で造られた横穴式石室があり、この山には数十基の古墳があったらしい。今ではその大半が壊されたり、埋もれたりしているようで、これらの古墳は、三井山南方一帯の開発に尽力したこの地域の有力者とその家族の墓のようだ。昔は、この当たりを木曽川が網の目のように流れていたという。三井山は洪水に見舞われることもない高台であり、周辺には古くから人が住みついていたと思われる。
フェンスから折り返したところに、植栽されたと思われるアセビが白い花を咲かせていた。右手には古いフェンスの跡であろうか、コンクリート柱が並んでいる。すぐに、「第三曲輪跡」と書かれた標識。第二、第一曲輪跡と上に続く。そして丸木階段を登りつめると本丸跡、そして鳥居ときれいなお社がある山頂に到着。このお社は、御井神社奥宮であり、三井池の畔にある龍神様が祀られた神社の奥の院である。鳥居にはしめ縄が掛けられ、小振りな狛犬が二対、神社を守っている。
山頂の桜の花芽はかなり膨らんでおり、4月に入れば美しい花を咲かせることであろう。神社の西には芝生の小さな広場があり、3つほどベンチが置いてあった。南側が開けており、春霞で展望はよくないが、目の前を流れる木曽川や一宮の138タワーが見えた。北側も展望することができ、金華山や百々ヶ峰、尾崎権現山などが霞んでいる。かつては畑が広がっていた各務原台地には多くの家が建っていた。
東は樹幹から飛行場が半分ほど望めた。神社の裏手に三角点があったが、地上部分が欠損したような状態だった。西側には立派な東屋がある。元日にはこの山頂に地元の方々が100名以上集まって初日の出を楽しみ、御神酒も振る舞われると聞いている。
ベンチで一息ついで、西へ下る。東屋の横を抜け、右にチャートの大岩を見ながらゆるやかに尾根を下る。この辺りも展望がよく、木曽川を見ながら下る。遊歩道は左に折り返す。下にコンクリートの屋根が見えた。水道施設であろうか。春の日差しを浴びて、タンポポの黄色が一段と鮮やかだ。
再び折り返してコンクリートの建物の脇を通り、東屋のある「ふれあいの丘」を通過。ジグザグと下っていくと、犬を連れて登ってくる2人ほどの男性に出会った。犬の散歩にはちょうどいいコースである。アカタテハが遊歩道の上を飛び回っていた。
かなり下って新境川が近づいてきた。この遊歩道周辺の木々には木の名前が書かれたプレートが付けられている。簗谷山で見たものと同じスプリングで名札を木に巻いてあり、自然への配慮がなされている。新境川に並行している遊歩道に突き当たった。「元旦と6月22日はふるさと展望の日」の表示板。この2日間に、一斉登山が行われるようだ。川に沿って南に下っていくと、赤い三井龍神橋が見え、駐車場に着いた。
散歩気分で登れる山だ。桜が咲く時期には、堤防道路が桜の花のトンネルになる。花見を兼ねて、歴史ある山歩きが楽しめる。たまには超低山を歩くのもいい。40年前の少年時代を思い出しながらの小さな山旅であった。
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