霊仙山の展望と花と地図を見る
霊仙山 (1,084m 滋賀県) 2006.11.4 晴れ 2人
醒ヶ井養鱒場林道終点駐車場(8:02)→榑ヶ畑無人売店(8:10)→汗拭峠(8:20)→落合集落(8:53)→南西尾根登山口(9:02)→今畑廃村(9:12)→笹峠(9:56)→近江展望台(10:58)→南霊山(11:38)→最高点(11:57-12:02)→経塚山分岐点(12:09)→霊仙山山頂(12:12-13:32)→経塚山(13:46)→避難小屋(13:55-14:03)→経塚山(14:09)→お虎ヶ池(14:24)→近道分岐点(14:33)→近道合流点(14:39)→見晴台(14:46-14:52)→汗拭峠(15:12)→駐車場(15:26)
霊仙山は、山好きの人であれば、山歩きを初めて早い時期に必ず登る山であろう。学生時代、サークルの新入生歓迎ハイキングとして、毎年5月にこの山に登った。広いササ原と白い石灰岩が印象的な山頂で撮った笑顔の集合写真がアルバムに残っている。写真の仲間達の中で、今でも山歩きをしている者はほとんどいない。
この山の思い出はもう1つある。らくえぬが初めて山デビューをした山。結婚する前に2人で登った唯一の山でもある。当時、国鉄の柏原駅からバスで上丹生へ。バス停から柏原登山口まで30分ほど歩き、柏原コースの谷川を登り詰めた。帰路は、醒ヶ井に下った記憶がある。共に、当時の記憶は薄れ、らくえぬは沢を歩いたことと、経験したことのない程の距離を歩かされて疲れたことだけが記憶に残っているらしい。二十数年前の話しである。
今、我々がこれほど山にはまるとは互いに思いもしなかった。こうして、山歩きをするようになってからは、霊仙がいつも気になっていた。霊仙に登れば、あの日に帰って思い出を紐解くことができるかもしれない。いつか登ろう。期待感がいつも脳裏の隅にあった。しかし、登ってしまえば、何かその期待感が失われ、楽しみが無くなってしまうような気がした。こうして、霊仙山は封印された山となった。
11月初め、「今日、何の日か知っとるの?」とらくえぬ。たいてい、こういう時には、自分か娘の誕生日、または結婚記念日と決まっている。「結婚記念日か。」「ただの記念日じゃないよ。」「・・・・」「25年目。」 と言うことで、封印を解く時が来た。
この連休は中濃・飛騨方面の紅葉の山を狙っていたが、南の地方ほど天気がいいこともあり、霊仙山に決めた。以前、柏原コースは荒れていると聞いていたので、昔登ったルートはあきらめ、すばらしいコースと言われる西南尾根を選んだ。思い出をたどるため、帰路は醒ヶ井コースを歩きたい。となると、ルートは醒ヶ井養鱒場上部の榑ヶ畑から汗ふき峠を経て落合集落まで下り、西南尾根を登り醒ヶ井コースを下るというロングコース。このルートのレポートはネットにいくつか掲載されていた。
7時過ぎには歩き始めたいと思ったが、目覚まし時計が一時間遅れで鳴ったことから、自宅を出るのが6時半頃となった。JR醒ヶ井駅のトイレに寄って、駅前の信号交差点を南に向かい、上丹生から養鱒場へ。養鱒場の入口には、霊仙山まで3.4kmの表示。案内に従って、未舗装の林道に入る。かつて、下山時はこの林道を下ってバス停まで歩いたが、記憶の風景とはかなり違っているように思えた。
途中、登山道と作業道が分離する先辺りから、路面がかなり荒れだした。それでもくぼみを避けてゆっくり走れば普通車でも問題ない。舗装道路になったころ林道終点の10台ほど駐車できる広場に到着。ここが醒ヶ井コースの登山口となる。連休で8時前には満車かと心配したが、先着の車は2台。身支度をして歩き始めるまで、車は1台も上ってこなかった。予想したほど人気がある山でもないかと思ったが、後にそれは大きな間違いであることが分かる。
登山口のすぐ上にある小屋で登山届けを提出。「西南尾根は危険」と書かれた案内を気にしながら、スギの大木の林の谷を歩く。両脇には石垣が組まれており、壊れた民家もある。廃村の榑ヶ畑集落跡である。飲み物の無人販売所「かなや」を通過して斜面のジグザグを10分ほど歩き。ちょうど汗が出始めた頃、汗拭峠に出た。左へ登れば霊仙山頂方向。帰路はここを下ってくることになる。
西南尾根登山口へは、直進して下る。急斜面の細い道は白く乾いて滑りやすい。滑ると谷底まで落ちそうなので慎重に下った。下りきって大洞谷を左に見ながら人工林の中を緩やかに下って、橋を渡り、谷川を右に見ながら歩くと落合の集落跡に出る。廃村ではあるが人の気配が感じられた。
朝日の木漏れ日の中、舗装道路を蛇行すると山側に登山口が現れた。右手には4つの小屋が並ぶ。標識には今畑・霊仙山と書かれてあり、西南尾根とは書いてない。GPSと地図で西南尾根の登山口であることを確認。山道に入ってすぐに大きな堰堤を右に見る。下の道に登山者の車が2台見えた。石垣にユキノシタの葉を見ながら今畑の集落跡を通過。
スギ林を通過して美しいブナの大木を見る。ここでブナが見られるとは思ってもいなかった。ミスミソウやイカリソウの葉が見られる。春には美しい花がたくさん咲くに違いない。ヒノキ林をジグザグ登って天然林の美しい尾根状の場所で一本。パンを食べて、この先の急登に備える。
掘割の道や人工林・天然林を繰り返し、大きく侵食された裸地を通過して稜線に出ると、正面が開けた。三角形の美しい山が間近に見える。これから登る霊仙山だ。石灰岩が点在する広い落ち葉の道を右山で反時計回りに歩くと、道は稜線と交わり、ササが現れる。ヤブ状の道を、朝日を受けながら歩く。テープが続く。赤い下を向いたキク科の花は、ベニバナボロギク。帰化植物であり、花が終わったものは白い綿毛を飛ばしていた。
なだらかに下ってスギの幼木が現れると、標識のある笹峠に着く。右の植林地帯に道が下っているが、×印がある。きれいな地図が表示されており、標高1,006mの近江展望地まで80分とある。標高差350mほどの登りが待ち受けている。峠から数分歩いて、ササやススキが茂る展望のいい場所に出た。霞んで遠くの山は見えないが、南には御池岳や藤原岳が望めた。
スギの倒木をまたぎながら、草原を登り、木立の中へ。周囲に苔むした石灰岩を見ながら、ササを分けると、正面に巨大な山肌が迫ってくる。西南尾根名物の草付き急斜面である。木立を抜けて、いつしか急斜面に取り付いていた。岩の多い斜面はススキや潅木に覆われ、草に沈む道をゆっくり登る。リュウノウギクがまだ花を咲かせていた。スミレもいくつか見られた。草花と後方の大展望に癒されながら、急すぎて先が見えない斜面をひたすら登る。
20分も登ったであろうか。やや緩やかになり、先のピークが見え始めた。ピーク手前の赤テープを休憩場所の目印にして、道の分かりにくい草原を歩く。左手に琵琶湖が望めた。後方には今畑から歩いてきた尾根筋も良く見える。樹木は無く、大展望である。ピーク手前で休憩。近くに赤い実がたくさん付いている木がいくつかあるが、遠すぎて樹種まで分からない。GPSを見ると、標高は950mほど。ほぼ登りきったようだ。
10分ほど休んでピークに登りつめるとなだらかな稜線に出た。ようやく北の展望が得られる。稜線は遥か向こうの霊仙山最高点にうねりながら続く。まだまだ遠い。近江展望台の看板があった。この辺りもリュウノウギクが咲いていた。稜線に沿って赤い実を付けた木があり、マユミの木であることが分かった。風雪に耐えて育った木々は頑強で、幹の皮や枝ぶりは堂々たる風格があり、霊仙を守る神々が宿っているように思えた。
テープは稜線上の木々に付けられており、歩きにくい石灰岩と潅木の間を進む。ペースが一気にダウンした。こんな道がどこまで続くのだろう。マユミの古木が神の山に近づく者を防ぐように、枝を張り巡らす。青い空にはじけた赤い実が美しい。前方から男性登山者が下ってきた。稜線の東側の草の中を歩いている。下にも道があるようだ。
挨拶を交わして、稜線から東へ少し下ると草の中に踏み跡があった。たくさんのシカかカモシカの糞が散らばっていた。シカとカモシカの糞を判別するのはむずかしいと言われているが、カモシカは立ち止まって糞をすることから、糞塊ができる。「糞を踏まないように歩けない」とらくえぬ。散らばった状態からして、シカの糞と思われた。
岩陰にピンク色の小さな花を見つけた。ヒメフウロである。この稜線歩きは同じ石灰岩の山である伊吹北尾根を思い出させる。草の中の道はしだいに怪しくなった。シカが群れで歩いたような状態で、踏み跡はシカのものか人のものか分からない。牧場を歩いているようだ。まあ、稜線に沿って進めばいい。
石灰岩の白い帯がカーブを描く稜線の遥か先まで続いている。その先には霊仙最高点がある。白い石屑の帯は、まるで天の川。星屑を踏んで天空の旅をしているような錯覚に陥る。気持ちがいい。こんな稜線歩きは、なかなか体験できない。シカの踏み跡に惑わされて、小ピークのかなり下方をトラバースし、石灰岩地帯を斜めに登って稜線に戻った。眼下に吸い込まれる斜面の先には紅葉の美しい樹林帯が広がる。谷からチェーンソーの音が聞こえてきた。
稜線をしばらく歩いて、標識が現れた。南霊山である。北側の霊仙山と最高点に続くなめらかなウグイス色のササの稜線が美しい。紅葉の木々も見られる。南霊山から背丈の低いササの道となる。ササで路面が見えず、時折、石につまずいたりした。霊仙山、経塚山、最高点が望め、山頂の人影もはっきり見える。後少し。ササ原からマユミが並ぶ石灰岩の尾根へ。そして、右側が切れ落ちた断崖の淵を歩く。眼下に林道が見えた。
下山してきた団体さんとすれ違ってようやく最高点に到着。標高1094mと書かれていたが、この先の経塚山分岐点の表示は1098mとなっていた。霊仙山頂より10mほど高い。北には伊吹山が見え、経塚山から柏原コースへの途中の山小屋が見下ろせた。山頂でランチにすることとし、最高点で記念写真を撮って、目の前の霊仙山に向かう。
山頂までは一旦下って、登り返し、醒ヶ井・柏原コースへの分岐となる経塚山への道を右に見てすぐに山頂である。石灰岩が散在する山頂は広く、山頂は10人以上の登山者で賑わっていた。二十数年ぶりの山頂は昔の記憶どおり、白い石と緑のササの山であった。封印していた山の頂を踏んで感動は大きかった。西南尾根コースは初めてだったので、帰路、醒ヶ井コースはもっと懐かしいに違いない。帰路に期待が膨らむ。
南には今歩いてきた南霊山から最高点に続く水平の尾根が目の前に見える。西南尾根から登ってくるパーティーが小さく見えた。山頂の南側でランチにした。今回は、水を一滴も使わないパックご飯で作るドライカレーに挑戦。ドライにはならなかったが、テン泊で使えるメニューである。登山者は次々と登ってくる。親子連れやスニーカーでの登山者も多い。かつて我々もスニーカーで登った。ハイキングコースとしても親しまれているようだ。寒くもなく、パーコレーターでコーヒーを入れてのんびりした。ここにもヒメフウロが可憐な花を咲かせていた。
帰路は、醒ヶ井コースへ下る。最高点への分岐点から経塚山を目指してササの斜面を下る。正面の経塚山へササの中の道が上っている。遠くに見えるが、霊仙山頂からは15分ほど。登り返して経塚山へ。ここで、なんの疑問もなく、避難小屋方面に下った。小屋に着いて、醒ヶ井コースの途中に小屋がなかったことを思い出した。地図を見て、こちらは柏原コースであることが分かった。まあ、小屋を見たかったので、ちょうどよかった。小屋はきれいで、チャンスがあれば泊まってみたいと思った。トイレは無い。かつて小屋はなく、深いササの細道を歩いた記憶があるが、今は幅広くササが刈り取られ、昔の面影は全く無い。柏原コースへ下っていく人もあるので、このコースは次回のお楽しみに。
再び経塚山まで戻って、西への道を下る。ここもさえぎるものが何もない大展望の広い道である。緩やかに登り返して緩やかに下っていく。左の霊仙山の紅葉が美しい。後方には経塚山や最高点が見える。鳥居と池が現れた。お虎ヶ池である。獣が水浴びでもしたのだろうか、泥が岸辺に飛び散っていた。手を合わせて池を後に小ピークを越える。この辺りもマユミがたくさんの実をつけており、リンドウがまだ花を咲かせていた。
お猿岩と書かれた分岐点に出る。ここは旧道が危険なため、右へ新道が作られ、近道と書いてある。近道に入り、ここから急斜面に付けられたジグザグ道を下る。フィックスロープが続く。ススキの穂と紅葉の山が秋を告げる。足元に初めて見る小さな青い花を見つけた。キュウリグサを大きくしたような植物で気がつかないで通り過ぎてしまうところであるが、よく見るとこの青色がなんと美しいことか。ラピスラズリーを見つけたような感動を覚えた。帰って調べてみると、オオルリソウのようだ。オニルリソウとの区別が難しいようだが、花茎の広がり方からみてオオルリソウとした。
次第に樹林帯に入り、美しい2次林に突入。紅葉には少し早いが、下草の緑とマッチして、ストライプの林が美しい。5合目の見晴台で休憩して食べたミカンが美味しかった。ウリハカエデが真っ赤に色づいて散り始める天然林を抜けて4合目、3合目とロープを伝って汗拭峠に到着。ここで1周。ここからは朝上ってきた斜面を下り、伐採作業が行われている榑ヶ畑集落跡を通って駐車場に着いた。帰路は早かった。かつて下った道を、再び下って来たが、昔歩いた記憶が甦らなかった。やはり登りのほうが記憶に残っているようだ。柏原コースを登る楽しみができた。
今回のコースは登りが4時間とロングコースであることから、早出をするほうがいい。西南尾根の草原地帯は道が不明瞭な所もあるが、稜線に沿って歩けば迷うこともないだろう。ただしガスで視界が利かないときには要注意。石の上を歩く所も多く、登山者も少ないため十分な装備で登られたい。リュウノウギクやフクジュソウの季節がベスト。晴れていれば一級の展望を楽しむことのできるコースである。醒ヶ井コースとは全く違った霊仙山を楽しむことができる、お気に入りのコースである。
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