<5月4日>
 背中と足の指先が冷たくて目が覚めた。4時。周囲から身支度のざわめきが聞こえる。ベットボトルの水を飲むとシャリシャリと氷片が出てきた。テントの中の気温は氷点下2度C。ペットボトルの水が半分ほど凍っていた。テントのチャックを上げると粉砂糖のような霜が舞った。雲1つない空。大汝山の上に新月間近の薄い月が引っかかっていた。外気温は氷点下6度C。外に出しておいたパンプディングも凍っている。

 卵雑炊とパンプディングの朝食。奥大日岳山頂だけがモルゲンロートでロウソクのように赤く染まっている。すでに雷鳥沢に取り付いているパーティーが見える。身支度をすませてアイゼンを付けた。

 テント場を後に、北側の雷鳥沢斜面に取り付きやや右方向へ登っていく。凍り付いた雪面にアイゼンが気持ちよく刺さる。先は長い。一歩一歩、ゆっくりゆっくり登る。一旦なだらかになるが、再び急斜面。先行の休息中のパーティーを追い抜き、青空に向かって登る。左には奥大日岳が、右には立山が、後方には室堂平が美しい。ヤマケイのグラビアの中にいるような錯覚に陥る。

 むき出しになったハイマツの帯の間を抜け、急緩繰り返す。かなり標高をかせいだ。後方の鍬崎山が美しい。別山右から顔を出した陽が当たり、凍りついた雪面がきらきらと輝く。薬師岳も見え始めた。細竹に付けられた赤布を拾いながらの急登に汗が出る。小屋泊まりの下山者とすれ違う。凍った斜面をスキーで滑り降りる上級者も見られた。シリセードしてくる人もいる。急坂は両手両足で登る。右手前方に剣御前小舎が近づいてきた。

 ハイマツをまたいで尾根へ。登りがいのある斜面であった。テント群が豆粒に見える。真っ白な室堂平の美しさを中判カメラに収めた。剣岳は手前の尾根に隠れて見えない。「槍だ!」 雄山と浄土山の間に見える山はまぎれもなく槍・穂高。なんと遠いことか。絶景を見ながら小屋に到着。

 小屋の裏に回ると、剣岳と後立山連峰の北端が見えた。白馬岳や唐松岳、五竜岳である。剣沢小屋から登ってきた団体が到着。団体に混じってザックを下ろし、小屋に入って缶ジュースで一息ついだ。30分も休んでしまった。さて、ここからが立山縦走路。小屋の裏手からの道に雪はなく、昨日のテント場の管理人さんからの情報でも縦走路の雪はほとんど消えていると聞いていたことから、アイゼンを外した。

 まずは1つ目のピークに取り付く。強烈な西風が吹きつける。昨日の男性の言葉を思い出したが、引き返すほどでもない。ピークからは美しい剣と左下に雪から掘り起こされた剣沢小屋が見える。前方には別山への尾根。一旦下って別山の巻き道を右にやり過ごして登り返す。雪が残っているがスリップするようなことはなくツボ足で十分。先ほど槍が見えた位置にはいつの間にかとんがり笠ヶ岳に入れ替わっている。

 剣御前小舎から40分ほどで別山山頂へ。山頂にある社の東半分は雪に埋まっていた。何と言っても一直線に並ぶ後立山連峰がすばらしい。同定は後回し。この先、この連峰は常に見える。

 山頂から縦走路は南に向きを変える。前方にはなだらかな真砂岳、その先に富士ノ折立、大汝山、雄山へと続く。縦走路はS字にカーブを描く。雪のないガレ場を一気に下る。風はますます強くなった。先ほどの巻き道と合流して、さらに尾根の右を下っていく。今、雷鳥平から見上げていた稜線からテント場を見下ろしている。雷鳥平の向こうに美しい奥大日岳、大日岳が望めた。

 雪のない室堂側を下りきって登りに。チョコレート休憩。振り返れば別山が大きい。真砂岳分岐を通過。ここにも巻き道があるが、真砂岳に向かう。背中からの強風で身体が押し上げられる。なだらかな真砂岳に到着。山頂には赤ペンキの塗られた石柱が埋まっていた。東には大きな雪原ができている。その向こうに連なる峰。後立山連峰とはよく名付けたものである。まさに立山の後ろにすばらしい名峰が並ぶ。北から白馬、唐松、五竜、鹿島槍、爺、針ノ木・・・まだ訪れたことのない山ばかり。あの稜線からこの立山を眺めたいと思った。

 そろそろ昼食の時間になったが、この風を避けるような場所はない。行動食で済ませようと真砂岳を少し下った小さな岩陰でザックを下ろした。しゃがみ込むとウソのように風が無い。数メートル西を歩く登山者は強風にあおられている。不思議なものである。この状態なら十分に自炊可能。ガソリンストーブに風除けのアルミ板を囲って味ご飯と中華ご飯を雑炊にして食べた。温かい日本茶が美味しかった。

 生き返って鞍部まで下り、いよいよ本峰に取り付く。真砂岳から見たこの岩山への登りはかなりハードに思えたが、取り付いてみるとそれほどでもない。ただ、この辺りの風が最も強かった。これだけの強風の中を歩いたことがないというほどの風である。飛ばされないように低い姿勢で岩に張りついて登る。富士ノ折立の右を巻いて登っていく。

 登り切ると広い雪原の尾根に出た。斜面ではなく、アイゼンは必要ない。東側には巨大な雪庇が突き出ている。大きなつららも下がっている。今日の縦走路のクライマックス。すばらしい尾根だ。イワヒバリが鳴きながら我々を先導してくれた。大展望の天空の道である。雪原を抜けると青い屋根の小屋が現れた。大汝休憩所だ。小屋は閉鎖されており、小屋の前で何人かの登山者が休息中。

 大汝山頂は目の前。雪の斜面を登りきった。ここからも大展望。東にはうぐいす色の黒部湖が見下ろせた。室堂から登ってきたご夫婦から、後立山連峰の山々の名前を教えていただいた。遙か先には妙高方面の山も望める。写真を撮って、雄山を目指す。雄山山頂の神社がよく見える。その向こうは薬師岳。岩の多い道を雪を避けながら歩く。途中、岩場に迷い込んだりもしたが、なんとか脱出。オリベスクのような奇岩を見ながらピークへ。

 雄山手前のピークからの下りは数メートルではあったが雪の急斜面。滑れば遙か谷底まで転落してしまう。ピークで再びアイゼンを付けて慎重に斜面を下った。西から回り込んで雄山へ。山頂南にある小屋は閉鎖中。雄山神社の鳥居が雪の上に頭を出していた。すぐ北に聳えるピークの上の雄山神社まで登ってみた。夏には拝観料がいるそうだ。今まで歩いてきた尾根とその奥に剣岳が望めた。南の槍・穂高の左には燕岳や餓鬼岳が、右には笠ヶ岳や黒部五郎岳などが連なる。

 あいかわらず風は強い。身体が冷えないうちに一ノ越へ下ることにした。アイゼンを外して小屋の先からガレ場をジグザグに下る。道はいくつも絡み合って斜面を下っていく。雪解け直後であり、浮き石や落石に注意しながら下った。途中、足場の悪い雪の斜面も現れたがアイゼン無しで通過。ワンタッチアイゼンなのでこうした場所ではアイゼンをつけて下るべきだと反省。ガレ場は思ったよりも長い。この登りは辛そう。ここを登りにしなくてよかったと思った。前方に浄土山、眼下に一ノ越山荘を見ながらだらだらと下った。一ノ越山荘はこの時期営業している。ここは室堂バスターミナルへの道と雷鳥平への道の分岐点となっている。当初はバスターミナルまで下って立山そばにビールでもと考えたが、かなりバテてきたので、雷鳥平へ直行することにした。

 雄山からの斜面にはいくつかのトレースが残っている。一番上のトレースを追ってトラバース。風はすっかり治まった。前方には奥大日岳と雷鳥沢キャンプ場が見える。マイルドな白い世界はまるで異国に来たような風景で感動。道があって無いようなものであるが、とにかくテント場を目指して下ればいい。右手山側を見上げると谷の部分では雪崩や落石が起きるような雰囲気があり、あまり気持ちがいいものではない。

 途中でシリセードして下のトレースに合流。すっかり溶けた雪であまり滑らない。斜面を下りきってテント場手前の雪原ではさすがにクタクタになっていた。着いたらビールだとがんばる。テントに着いて、ザックを下ろしゴール。福井の男性のテントはすでに無く、代わりに同じく福井の元気な2人の女性がテントを張っていた。一息つきながら山談義。毎週、山に出かけられており、冬の荒島岳は毎週、先週は白山に登ったというベテラン。大きな三脚と銀塩一眼レフを持ってみえた。写真談議も。

 夕食はサバ缶鍋。野菜をたっぷり入れた鍋とビールが美味しかった。今日も目の前の山が赤く染まっていく。あの稜線を歩いてきたと思うと、昨日見た山とはまた違って見えた。充実の山歩きができたたことに感謝。そんな気持ちで赤い山を見上げた。

<5月5日>
 最終日の朝はのんびり。しかし、周囲のざわめきで5時過ぎに起床。寒さ対策として靴下に使い捨てカイロを入れたので快適に眠れた。ただし、今日は外気温が−1度Cと昨日よりかなり暖かかった。テントも凍っておらず、雲が空を覆っていた。それでも立山はガスっていない。

 朝食は、コーンスープ、クリームシチュー、ビーフシチューとフランスパン。重いレトルトを全て処分してしまおうというメニュー。朝食の後、テントをたたんだ。テントの敷地部分だけが数cm盛り上がっていた。それだけ周りの雪が溶けたことになる。高原バスが観光客で混雑しないうちに室堂へ到着できるよう、8時半過ぎにキャンプ場を出た。

 テント場からの急坂を登るためにアイゼンをつけた。さすが3日目、軽くなったとはいえテントを背負ってのこの登りはきつかった。息を切らして登り切り、アイゼンを外した。みくりが池温泉の手前でつがいの雷鳥と出合った。真っ白な冬色から黒の夏毛が混じり始めた時期であり、この色の雷鳥を見たのは初めて。人を恐れることもなく、ハイマツをついばんでいた。いつまでもこうした光景が見られるといい。

 雷鳥と別れ、室堂バスターミナ10時発のバスに飛び乗った。まだ、剣岳や大日岳、浄土山を残している。また来ることを約束して、雪の大谷を後にした。美女平のケーブルカー待ち時間におやきを食べた。実に美味しかった。立山駅はあいかわらず大勢の観光客で混雑していた。とりあえず、ザックを車に放り込み靴を替えた。真夏のような陽射しが照りつけている。充実感に満ち足りていた。今年の連休もいい山歩きができた。駅前で食べた立山そばが美味しかった。店員さんから「雪の大谷は行ってこられましたか?」と尋ねられた。「立山縦走してきました。」 すっかり日焼けした顔で答えた。

 この時期の立山テント泊は、実に手軽に体験できる。雪の大谷を見学したら、観光客のざわめきから逃避して、雷鳥沢キャンプ場でテントを張って、1日のんびりするだけでも十分。温泉もある。稜線まで登るのであれば、アイゼン、ピッケルの装備はもちろん、天気を見ながら慎重な行動が必要。このすばらしい感動の世界をもう一度体験するために、また訪れたい名山である。
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