トレースマップはカシミール3Dで作成
*この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用しています。(承認番号 平23情使、第517号) 
*点線は推定トレース


横山 (312m 滋賀県) 2012.6.3 曇り 2人

観音寺駐車場(9:40)→観音坂峠(9:55-10:05)→横山南城跡(10:21-10:28)→横山山頂(10:34-10:50)→臥龍公園分岐点(11:01)→堂の前古墳(11:35)→天神岩・昼食(11:37-12:33)→最北端登山口(12:52)→臥龍公園(13:26)→臥龍公園分岐点(13:45)→横山山頂(13:53-13:55)→観音寺分岐点(14:03)→観音寺本堂(14:21-14:28)→駐車場(14:33)

★6月3日に滋賀県の横山を縦走して来ました。
★観音寺をスタートして鏡岩などを見ながら観音坂峠へ。
★峠から稜線を北上。鉄塔下で展望を楽しみながら横山の南城へ。そして北城である横山山頂へ。
★横山山頂は伊吹山や琵琶湖が望める大展望地。ササユリが大きな蕾を付けていました。
★山頂からさらに北に向かって稜線を歩きました。
★ササの道や天然林の潅木帯、鉄塔下の夏草の道など目まぐるしく変わる周囲の景色を楽しみながら、北へ北へと歩きました。
★古墳を通過し、舟岩や天神岩のある草原で、近江の田園地帯や琵琶湖を見ながらのランチ。
★昼食後、さらに北へ下り、茶臼山古墳群を通過して横山の北端に下山しました。
★帰路は田園を歩いて臥龍公園から再び山に入り、稜線に出て再び横山山頂を経由し、途中から観音寺へのトラバース道を下りました。
★曇天気味で遠望はありませんでしたが展望地が多く、変化に富んだコースに満足。また、さまざまな動植物に出会い、そして歴史探訪。
★思わぬ拾い物をした山歩きとなりました。


 この休日も天気は今ひとつ。愛知県の低山を予定していたが、出掛けにネットの天気予報を見ると、午前中から雨の予報。降水確率の低い地域を探すと、滋賀県方面に傘マークが無い。急遽、行き先を変更して、滋賀県の山を探し、低山の横山に登ることにした。横山は国道365号線で米原市から長浜市に入る手前の南側にある標高300mほどの低山である。ネット情報によると鉄塔巡視路や遊歩道があり、縦走もできそうだ。

 国道365号線を西進し、野一色地内から観音寺トンネルに向かって左折。観音寺トンネル手前にある八幡神社のトイレによる。神社のサツキが満開であり、モンキアゲハが蜜を求めて舞っている。大きな神社に参拝した後、観音寺トンネルを抜けて、石田登山口駐車場に向かったが、トンネルの出口付近で工事が行われており、登山口が確認できない。

 地図を見ると観音寺からも登れそうなので、引き返して観音寺に向かった。観音寺の入口にため池があり、その奥にハイキングコースの標示と林道のような広い道が山の中へ続いている。登山口が分かったので、駐車場を探した。観音寺案内図を見ると参道途中の左に駐車場の標示。草の生えた未舗装の駐車場に車を停めた。
 
 靴を履き替えて、参道を戻り、鯉が跳ねるため池を回り込む。石田三成水汲みの井戸を見て、登山口へ。登山口には石田山公園駐車場へのルートが通行止めとの標示があった。先ほどの工事中で通行止めのようだ。たくさんの杖が置いてある。竹薮を左に、広い道を歩く。足元にはコナスビやミゾホオズキ、ミズタビラコなどがかわいい花を咲かせている。

 獅子脅しのある水場を見て折り返すと一枚の大きな「鏡岩」、その先に「お化け岩」、「読誦回向の塔」を見ながら、歩き始めて15分ほどで青ペンキが塗られた峠地蔵のある観音坂峠に着いた。峠から左へ階段があり、登ってみると道はさらに南へと続いている。観音トンネルの上部手前で引き返し、峠まで戻った。石田山公園駐車場への道にはネットが張ってあり通行止め。
 
 横山城跡ハイキングコースの案内に従って稜線の階段を登る。足元に落ちている白い花に気がついて見上げると樹木に巻きついたセンニンソウがたくさんの花を咲かせている。階段を登ってササの道となり、すぐに鉄塔の下に出た。樹木が無く、前方・後方の鉄塔がよく見える。「蓮池」の分岐を通過して展望のいい道を歩く。左には琵琶湖が霞んでおり、足元には紫色のニワゼキショウが咲いている。
 
 小さな東屋とベンチのある広場を通過してナラの林に入るとすぐに観音寺下山道(十三仏巡拝)分岐を右に見る。コンクリートの電柱が立っている。石仏を見ながらなだらかな稜線を歩き、西国三十三番観音巡拝の分岐を通過し、階段を登ると草に覆われた広場に出た。山頂に到着したと思ったが、山名標示が無い。広場には壊れかけた鐘つき堂や石灯籠、石仏などがある。GPSを見るとさらに北側にピークがあり、そこが山頂のようだ。
 
 案内板がササの中にあり、この場所が横山南城跡であることが分かった。浅井氏の南進拠点となった城で、1561年に浅井長政によって改修されたが、その後信長が羽柴秀吉らを城番に入れ小谷城が落ちる1573年まで北近江の拠点の役割を担ったと書いてある。さらに北上して虎口、竪堀、曲輪の跡を通って、赤い鉄塔下から草つきの斜面に取り付き、階段を登ると大展望地に出た。ここが横山北城跡であり、横山山頂である。
 
 東側と西側の一部が開け、東側の目の前には伊吹山が裾野を広げている。頭は少し雲がかかっていた。その左のなだらかな台形の山は七尾山である。西側には水を張った近江の田園と、その向こうにかろうじて琵琶湖が望めた。草に覆われた山頂には横山城略歴のプレートが設置してあり、読んでみると重要な歴史的価値を持つ城であることが分かった。また方位盤やベンチがあり、気持ちのいい場所である。草の中にササユリの大きな蕾をいくつか見つけた。間もなく美しい花が咲くに違いない。山頂の西側に下る道は石田登山口へ、東側の道は茶臼山登山口や臥龍公園へ下る道である。今日はこの山の稜線を縦走して北端の茶臼山登山口までを予定していることから、東側の道を下った。
 
 ウツギやコガンピ、ガマズミの白い花を見ながら、背丈以上あるササに埋もれた道を下る。頭上には高圧線が次の鉄塔に向かっている。眼下には田園の中の国道や姉川が見下ろせた。草の道を下って、暗い人工林の境を通過。横山古墳の石碑を見て緩やかな道を歩く。くもの巣が多くササで払いながら歩く。この道を歩く人は少ないようだ。イチヤクソウはまだ蕾。また、この低山には珍しくチゴユリの群落も見られた。

 74番のプレートが掛かる鉄塔下を通過すると、右へ道が分岐しており「臥龍公園→」のプレートが設置してある。午後に、この道を上がってくることになる。すぐに再び鉄塔下のススキを分けると、すばらしい展望地に出た。ワラビやススキの草原からは、北側へ続く緑の稜線がうねりながら下っている様子がよく分かる。鉄塔が続き、この尾根がこれから歩くルート。地図を見ると、ここで稜線の半分ほどの距離を歩いたことになる。東側の七尾山と姉川の間の田園にはコムギが実って黄金色に見えた。
 
 展望を楽しんだら再び樹林帯へ入る。倒木を跨ぎ、小枝を避けながら落ち葉に埋もれた天然林を行く。踏み後も分からないような夏草の斜面を下り、再び鉄塔を通過。この草むらの中でスイカズラの花やコウゾの実を見つけた。ダニが付かないように時折ズボンをチェックしながら草むらを歩く。草の中に「坂南古墳」の標示。古墳はこの先いくつか現れる。
 
 下って登り返すと、今度はササに覆われた「堂の前古墳」の上に出た。アザミが美しい花を咲かせている。西側の展望が得られ、琵琶湖が近づいてきた。11時半を回ったことから、昼食の場所を探しながら歩いたが、草に覆われた場所が多く、適当な場所が無い。古墳を下ると神代文字が書かれた「舟岩」と呼ばれる岩があり、岩の表面に引っかき傷のようなものが確認できた。これが神代文字であろうか? 

 すぐ先に天神岩があり、この付近はつい最近道の草刈が行われたようで、刈り取られた草の匂いが漂っている。すぐ先に鉄塔があり鉄塔の下で昼食にしようと思ったが、草が刈られていないので、再び天神岩まで戻って草が刈られたところで昼食にした。
 
 メニューはおでんと冷やしそば。曇り空で日差しは無く暑くはない。さわやかな風が吹く草原で、目の前の田園を見ながらランチを楽しんだ。南側には歩いてきた稜線や鉄塔が望めた。正午を知らせる音楽が聞こえる。食事をとりながらこれから歩くコースを検討。稜線をさらに北へ下って茶臼山登山口に出て、その後山に沿って国道や農道を歩き、臥龍公園から再び山に登って横山山頂を経由し、観音寺に下ることにした。時間が止まったような緑の空間の中で、1時間ほどのランチタイムを終えた。

 パッキングして北に向かう。鉄塔から少し下ると、高圧線は真っ直ぐに次の鉄塔に向かって田園に下りている。このまま下ると茶臼山登山口に行かずに下ってしまうのではないかと思い、鉄塔付近で分岐路が無いか探した。深いササヤブを歩き回ったが道はない。切り株に引っかかって転倒する一幕も。再び鉄塔下に戻って北へ下ってみると、道は下の鉄塔へは行かず左の樹林帯に吸い込まれて稜線上に続いている。

 林に踏み込むとコナラやアベマキの美しい空間があった。「小倉古墳」1号・2号の標示板を確認しながらぐんぐん下っていく。「龍ヶ鼻古墳」1号から4号、さらに「山ヶ鼻古墳」の標示を通過すると、林の向こうに小麦畑や農道が見えてきた。右にも道があったが左へ下って水路の横に下り立った。

 山沿いに麦畑を見ながら東へ歩くと茶臼山古墳の標示と登山口があった。さきほどの分岐を右に下るとここに下りられたようだ。姉川合戦直前に織田信長や徳川家康が本陣を敷いた曲輪跡の案内板もある。かつてこの付近は歴史が動く大舞台となったことがよく分かる。前方に伊吹山を見ながら、国道365号線沿いに歩道を歩く。先ほど分岐を探した鉄塔が目の前に見える。

 国道が山をかすめた辺りで国道から外れて田園の中へ。田植えが終わったばかりの水田の中、今歩いてきた鉄塔の並ぶ横山を見上げながら、臥龍公園を目指す。息長陵を見てさらに農道を南に歩く。GPSと地図を見比べながら進むと八幡神社の鳥居の前を通過。鳥居の向こうに「←臥龍公園」の小さな標示を発見。鳥居の左側からグランド沿いの桜並木の道を歩いて公園の入口へ。案内板には横山の別名である臥龍山に因んで名づけられた公園で、案内図を見ると公園の一番奥から太閤岩を経て横山の稜線に登れることが分かった。
 
 園内を横断して南端の左側から林道に入る。草つきの林道は公園を見下ろすように時計回りで山に向かっている。いつの間にか太陽が照りつけ、木陰の無い林道歩きは汗が出る。公園を後に荒れた竹薮を見ながら歩くと、太閤岩の表示があり、斜面の右上に大岩があった。秀吉出生の振り出しとなった横山を顕彰した岩である。
 
 コンクリート階段を経て、ジグザグと登っていく。明るい場所に出ると後方に伊吹山が大きい。午前中よりも雲が消えてはっきり見える。草むらを抜け、稜線に出た。左折して午前中に歩いた道を戻り、数分で横山山頂へ。さらに南へ向かい南城跡を通過し、西国三十三番観音巡拝の分岐をやり過ごした。後に、この道を下っても観音寺に下りられることが分かった。
 
 電柱のある観音寺下山道(十三仏巡拝)分岐点を左に下る。急斜面に付けられた細いジグザグのトラバース道を下る。道が狭く乾燥して滑りやすいく、転倒する場面も。十三仏巡拝であり、ところどころに石仏が現れる。どこまでも続くトラバース道は、シダの群落が現れる頃、ようやくなだらかになってきた。草に覆われた広い道に出て、コンクリートの橋を渡ると観音寺本堂の裏に出た。観音寺遺跡の石柱がある。
 
 下り口が分からないので引き返して、草の道を下って本堂の前に出た。標示が無く、ここから登ろうと思っても登山口がよく分からないに違いない。本堂でお賽銭を投げて手を合わせた。本堂前の広場の右に「至横山城跡 ハイキングコース」の標示があったので、階段を登っていくとすばらしい彫刻がほどこされたお社があり、「横山城跡登り口(西国三十三番観音巡拝)」の看板があった。先ほど下りてきたトラバース道より、こちらの道のほうがしっかりしているような気がした。
 
 本殿前に戻って参道の階段を下る。途中に手洗い場やトイレを見ながら駐車場に戻った。駐車場の奥に「腰掛の石」の標示があったので寄ってみたが草に覆われてどこに石があるのか分からなかった。

 横山は低山ではあるが縦走すれば1日山歩きを楽しめる。展望地も多く、伊吹山や琵琶湖など景色もいい。またいろいろな花やチョウに出会えたのは意外だった。そして、何といっても歴史的遺産が豊富である。古墳時代へ、戦国時代へタイムスリップするのも面白い。横山山頂から茶臼山登山口まで明瞭な道があるが歩く人は少なく草を分けるような場所もある。思わぬ拾い物をした気分になるいい山歩きとなった。

 そしてもうひとつの拾い物をした。帰路、車の中でらくえぬの腕にマダニが食いついているのを発見。草むらが多いことからマダニには要注意。
★横山からの展望


★横山の植物・蝶

 山のリストへ