涸沢への登り
涸沢岳登り
涸沢岳 (3110m) 2004.5.1〜5.3 1・2日目:晴れ、3日目:曇り 2人

<1日目>
平湯アカンダナ駐車場(5:30)→上高地行きバス発車(5:50)→上高地(6:30)→明神(7:25-7:38)→徳沢(8:30-8:36)→横尾(9:36-10:06)→本谷橋【昼食】(11:20-11:59)→涸沢ヒュッテ・テント場(14:35)
<2日目>
涸沢テント場(7:31)→ザイティングラード取り付き(8:45)→穂高岳山荘(10:23-10:35)→涸沢岳山頂(11:10-11:30)→穂高岳山荘【昼食】(11:50-12:50)→涸沢小屋(14:37-15:07)→テント場(15:15)
<3日目>
涸沢テント場(6:44)→本谷橋(8:01)→横尾【朝食】(9:20-10:10)→徳沢(11:04-11:16)→明神(12:03-12:13)→上高地バスターミナル(13:07)→バス乗車(13:45)→アカンダナ駐車場(14:30)

 昨年の夏と秋に涸沢でテント泊を体験してすっかり涸沢の虜になった。春の残雪の涸沢でもテント泊したい。雑誌などを見ると、ゴールデンウィークの涸沢は残雪期の初級コースであり、大勢の人で賑わうらしい。「ただし、稜線まで登ってみようと思わないこと。そこはベテランの世界。」と但し書きがある。涸沢まではテントの重荷を担いで2回歩いていることから、時間配分の見当はつく。平湯の朝一番のバスに乗れば、雪でペースが落ちても夕方には涸沢に着けそうだ。このゴールデンウィークは涸沢でのんびりしようという計画を立てた。

 同じ日に蝶〜燕縦走をするkuさんに、我々の計画を話すと、「奥穂高は難しいけど、涸沢岳なら登れますよ。」とのこと。この一言で、登山計画書に涸沢岳を書き加えた。但し書きが気になるところであるが、天気などの状況を見て決めることにした。

 いつもなら平湯で前夜泊して始発のバスに乗るところだが、今回は前夜に用事があったことから5月1日の早朝3時過ぎに岐阜市を出発した。

<1日目>
 安房トンネル手前から真っ白な笠ヶ岳が美しい。最高の天気だ。5時半にアカンダナ駐車場に車を止めた。(1日500円) 素早く身支度をしてバス停に行くと、混雑もなく乗車できた。今回は、ここで上高地までのキップが購入できた。客の多くは上高地の観光客のようだ。

 上高地のバスターミナルは現在、改装中であり、バス乗り場は広場の梓川サイドに臨時に設けられている。売店も仮設の建物となっていた。登山届けを提出し、梓川沿いに歩く。すでにかなりの人出。登山者も多い。河童橋からは雄大な穂高の峰が望めた。まずは明神に向けて、登山者の列に加わる。明神のベンチでおにぎりとパンの朝食。

 美しい梓川や明神岳を見ながら、徳沢へ。徳沢から横尾への道は昨年同様、落石や雪崩でかなり荒れている。雪の上を歩くことも多くなってきた。横尾で水を補給して、吊り橋を渡った。雪はほとんど無い。雪化粧をした屏風岩、徐々に北穂が姿を現す。雪が増え、雪解け水でドロドロの道もある。

 本谷橋に着く。冬の間、この吊り橋は雪崩で崩壊しないように撤去されており、両岸にコンクリート柱があるのみ。涸沢へは、この時期、夏道とは違い谷を渡らず横尾谷の左岸を直進する。橋から少し先の川岸の雪の上で、大勢の登山者に混じってラーメンの昼食。ここから先は未知のルート。左岸に付けられた道は雪や岩を登ったり降りたりと、かなりの悪路。ダブルストックが邪魔になる。足場の悪いところにはロープも設置されている。

 やがて谷が雪で埋め尽くされた、やや広い雪原に出る。下山してくる登山者がここでアイゼンを外していた。ここで雪の上を歩いて横尾谷を右岸に渡る。いよいよ涸沢まで続く雪の谷歩きが始まる。アイゼンを付けようかと思いながら歩いていると、滑ってザックに押しつぶされた。ここで12本爪アイゼンを装着。真っ白な谷に前にも後ろにも登山者の列。涸沢ヒュッテまで続いているだろう。前の登山者の足跡を踏んでゆっくり登っていく。

 アイゼンの付き具合が悪く、休み休み調整しながら歩いた。谷の道は真っ直ぐ登り、かなり先で右に曲がっている。アイゼンの具合も良くなり、正面に美しい前穂北尾根を見ながら歩く。パノラマコースが走っている峰である。結構な傾斜であり、単調な直線歩きは疲れる。道を外して休息しまた登山者の列に加わることを繰り返した。夏道は左手の山腹につけられているのだろうか。それにしても、夏には想像できない美しい景色である。

 やがて、道は右に曲がり、いよいよ涸沢のカールに照準を合わせる。前穂が見えるようになった。急斜面を登り切ると、前方に鯉のぼりが泳ぐのが見えた。涸沢ヒュッテである。後方には穂高の峰がすばらしい。ここからが長い。急斜面に息を切らしながら登る。他の登山者も同じ状況で、重い足取り。このゆっくりしたピッチのペースを掴めばそれほど苦しくもないと思われたが、らくえぬがバテ気味。時間は十分にある。道を譲って休み休み登った。この辺りはナナカマドの美しいところであるが、全て雪の下に埋まっている。

 一旦なだらかになり、小屋前の最後の急斜面が見える。この手前で涸沢ヒュッテと涸沢小屋への分岐点がある。標識が立っていた。ヒュッテ方向の掘れた雪道をゆっくりゆっくり登る。ヒュッテへは左側を回り込んで登る。テント場へは右の急斜面を登った方がいいようだ。テント組はヒュッテ手前の斜面を右に登っていく。その後に続いた。

 急斜面をダブルストックで乗り切ると、幕営受付の白いテントが見えた。1泊1000円。2泊3日の手続きをして、許可プレートをもらった。テント場のトイレは雪の下に埋まっているためトイレと水は小屋のものを使うように言われた。受付の上に出ると、すでにたくさんの色とりどりのテントで埋まっている。そして、その周りをぐるりと穂高の峰々が取り巻いている。半年ぶりの対面。なんど見ても美しい。今の時期、カールは真っ白であり、一段と美しい。

 早速、テントを張る場所を探す。ヒュッテに近い斜面を平にしてテントを張ることにした。平にすることで風上の山側に段ができ、風よけになる。スコップがないので、ピッケルで雪をならした。これが結構重労働。頭側が少し高くなるようにして踏み固めテントを広げた。雪にペグはきかないため、教科書どおりペグを十字に組んでピッケルで雪を深く掘って埋め込んだ。一部は雪を詰め込んだスーパーバッグで固定した。

 テントを張り終えたら荷物を中に放り込み、少し早いが夕食にすることとし、食料やガスストーブを持ってヒュッテのテーブルに移動した。ヒュッテのテラスは夏なら小屋の屋根の上にあるが、今の時期は小屋が雪で埋まっており、テラスは雪の上に設置されている。小屋の後方の山にはブロック雪崩の跡も見られた。屋台のおでんは賑わっている。屋台の前のいつもの場所を確保して、まずはビールとおでん。今回も大根をおまけしてもらった。半年振りにこの涸沢の美しい景色に出会えたことに2人で乾杯。長い登りとテント設営でクタクタであるだけにビールがうまい。

 夕食は先日、タンポに登った時にayameさんに教えていただいたビビンバ風のチャーハンを作った。これがおいしかった。相席した男性数人のグループからいっしょに飲みませんかと言われた。1人の東京からみえた男性は4月23日からテント泊しており、毎年この時期にここで2週間程いるそうだ。その他の男性は、年に1度ここで出会うメンバー。ユニークな集まりである。先日の悪天候のときにはテントが3張りだけで、ものすごい荒れようだったそうだ。「長いこといるといろいろなことがありますよ。この時期はほんとうに山の好きな人だけが集まるからいいですね」 確かに、この時期の登山者の雰囲気は夏とは違うようだ。若い人が多いように思えた。また、今年は雪が2mは少ないそうだ。いつもなら、除雪機がフル回転しているらしい。

 夕食の後、テントに戻る。湿った雪は凍り始めておりさらさらになっている。テントの入り口で朝食用にパンプディングを作った。日は沈んだが、前穂北尾根の上に満月間近の月がかかり明るかった。尖った涸沢槍の真上に宵の明星が明るく輝き、クリスマスツリーてっぺんの星そっくり。宵闇迫る涸沢は大好きだ。こんな美しい世界で一夜を明かすことができる今が一番幸せな時だと感じながらテントのファスナーを閉めた。

 寝ころんでみると雪の上であり、夏のように背中に岩の感触はない。薄手のダウンジャケットとダウンのベストでダウンのシュラフに潜り込む。足下は寒くならないようにザックの中に突っ込んだ。ラーケンの水筒で湯たんぽを作ろうと思ったが、それほど寒くもなさそうなのでやめた。

 夜、風の音で目が覚めた。時折、強い風が吹いている。外に出てみると、ひしゃく星が北穂の上で美しい孤を描いている。穂高の峰に月が隠れていたが、月明かりで星はあまり見えなかった。懐中電灯無しでトイレに行けるほど雪で明るい。夜の涸沢も美しい。

<2日目>
 明け方、風はますます強くなった。テントは大丈夫かと心配になった。しかし、この風は次の夜への予告編程度でしかなかった。4時過ぎ、白々とテントが明るくなり始めた。あいかわらず、風が強い。この風では穂高稜線まで登るのは難しいだろうと思った。既にヘッドランプで登り始めるパーティーもある。ゆっくり起きて様子を見ることにした。

 穂高の山肌が朝日に輝き始めたので、ヒュッテ裏でカメラマンの列に混じってシャッターを切った。真っ青な空を背景に北穂の上部が輝いてすばらしくきれいだ。今日も天気は最高。風に飛ばされ涸沢小屋方面にころがっていくテントを追いかけている人もいた。朝食は昨日作っておいたパンプディングと味ご飯。

 風も弱くなってきた。とりあえず、ザイティングラード取り付き辺りまで登って、常念岳でも眺めるつもりでザックの荷物を最小限にして、7時半にテント場を出た。すでに大勢の登山者が穂高岳山荘を目指してかなり上まで登っている。穂高山荘まではテント場から真っ直ぐにカールを登る。岩が連なるザイティングラードのすぐ左側、あずき沢と呼ばれるコースを直進する。テント場上部にややなだらかなところがあるが、後は雪の急斜面。特に稜線直下の傾斜は半端ではない。

 雪はすっかり緩んでおり、一面足跡だらけ。新しい先行のアイゼンとピッケルの跡を追う。ぐんぐんとテント群が小さくなり、後方から屏風の頭の左に常念岳が立ち上がってくる。黙々と歩く。疲れれば立ち止まって息を整える。他のパーティーに抜かれ抜き返しつつ高度をかせぐ。ザイティングラード取り付きまで1時間ちょっとかかった。雪が多い年にはこの辺りで雪崩がおきるそうだ。

 途中までという予定もすっかり忘れてひたすら歩き続ける。テントが豆粒のように小さく見える。先を行く登山者も豆粒のようだ。ザイティングラードの岩場で休息する人がいたので、右にトラバースして岩場に登ってみた。大きな雪屁ができていて雪の上は危険だ。再びコースに戻り、最後の急登を登る。立ち止まる間隔が短くなる。30歩、20歩、ついに10歩で立ち止まるようになる。他の登山者も同じような状態で安心。目の前にロープの柵が見える。その向こうは穂高山荘である。

 かなりバテ気味で稜線到着。何人かの登山者が出迎えてくれた。ヒュッテから3時間弱。ここまで来れると思っていなかっただけに、とにかくうれしい。山荘は大きな雪の壁に囲まれ、いつもより小さく見えた。奥穂高を目指して鉄の階段を登っていく登山者を見ながら、ザックを下ろして一息つく。奥穂へは階段の後、雪の急斜面を登るが、ここで滑落するとその先は断崖絶壁。手前にロープが張られているが、ロープで止まるとは思えない。とりあえず、目的の涸沢岳を目指す。

 涸沢岳への登山道に雪は無い。アイゼンをはずして、ピッケルだけ持って山頂に向かう。ヘリポートに出たとたんに、強烈な西風。真っ白な笠ヶ岳の写真を撮ろうと前に出るが風で押し戻されるほど。がらがらの石の道を強風に耐えながらゆっくり登っていく。途中で名古屋テレビが収録中。レポーターが何度も撮りなおしをさせられていた。その脇を抜けてすぐに山頂へ。

 「すごい!」 山頂から雪のモザイクの槍ヶ岳が、そして二つのコブの北穂が目に飛び込んできた。昨年の夏に同じ場所に立ったが、この時期の光景は全く違う。カメラで360度、ぐるりと写真を撮った。後方には奥穂から西穂への尾根が荒々しい。西には笠ヶ岳が美しく、その左に真っ白な白山が浮かんでいる。黒部五郎や薬師方面も真っ白。反対側の東方面は蝶から常念、大天井、燕へと続く尾根が美しい。kuさんは今ごろどの辺りを歩いているのだろうか? 奥穂を断念したご夫婦と互いに写真を撮りあった。北穂からやって来たパーティーがいたのには驚いた。夏でも肝を冷やす道であるが、今の時期にアイゼンで歩いてくるのはすごい。

 山頂は強風で寒いため、この絶景を脳裏に焼き付けて、同じ道を下った。山荘の入り口前の雪の壁を背もたれにして、ラーメンを作った。ビールとコーラで乾杯。最高に美味しいラーメンだった。

 一時間の昼食の後、カールを下る。とにかく急斜面。よく登って来たものだと思った。いきなりシリセードをしてみる。すごいスピードとなり、ピッケルでようやく止まった。シリセードは危険。もう少し下りてからやってみることにする。かがとからザックザックと踏み込んで下りていく。雪がやわらかく尻餅をつくことも時々あった。シリセードの跡の上を歩くと滑りやすいので、避けて歩いた。常念岳を見ながらひたすら下った。下りも結構疲れる。

 ザイティングラード取り付きを少し下った辺りからシリセード開始。シリセードから滑落停止訓練。最後はほとんど滑落状態。ピッケルをひきつけて体重をかけて停止することができるようになった。先行者のシリセードの跡はジェットコースターのようによく滑る。雪まみれになったり、追突したりと、大いに楽しんだ。

 時間も十分にあるのでテント場上部から左にトラバースして涸沢小屋へ。ここの名物のソフトクリームを食べながら、雄大なカールを眺めた。このテラスは何度訪れてもすばらしい。テントに戻り、今日も少し早いがヒュッテで夕食にすることとした。今日のメニューはサバの缶詰ナベ。昨年の秋、このヒュッテで出合ったご夫婦に教えていただいたメニュー。雪から野菜を掘り起こして、ヒュッテに移動した。 つづきを見る
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