トレースマップはカシミール3Dで作成
*この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用しています。(承認番号 平17総使、第654号) 


↓案内図 今回歩いたコースは黄色点線

★見晴らしコース・とりで跡コース・古墳コースのレポートを見る(2009.4.26)
大谷山・滝谷山・雁又山・野村山
 (356m・398m・430m・229m 大野町) 2009.4.18 晴れ 2人

聖徳太子像前駐車場(11:35)→里山展望台(11:43)→花立峠分岐点(11:59)→大谷山山頂(12:08-12:16)→滝谷山山頂(12:42-13:40)→雁又山山頂(14:06-14:11)→滝谷山山頂(14:36)→大谷山山頂(15:00-15:04)→花立峠分岐点(15:07)→花立峠(15:21-15:27)→野村山(15:36-15:45)→花立峠(15:53)→聖徳太子像前駐車場(16:20)

 東濃方面の山に登ろうと、各務原ICから東海北陸自動車道に入ったところで急用の電話が入った。関ICで降りて急用先で用件を済ませた頃には午前10時を回っていた。急遽、行き先を変更して、近場の未登頂の山を探し、ガイド本に掲載されていた滝谷山が浮上。大野町から谷汲に抜ける野村坂の峠から東へ尾根伝いに登れることを記憶している程度で、地図もGPSの地形図もない。地図無しの山歩きは無謀ではあるが、状況で入山を判断することとし、野村坂を目指す。

 国道303号線を西進し、大野町役場への交差点の次の「運動公園」の表示がある交差点を右折して北上。正面に低山が連なる。以前から気になっていた山であり、この後、この稜線を歩くことになる。山腹に白い人工物が確認できた。2kmほど走り、再び「運動公園」の標示から左折。300mほど走って、チェスマークのカラー舗装がある交差点を右折して500mほど走り左折すると野村坂(県道・深坂大野線)の入口となる。直進は未舗装道路で、曲がり角に「金尾滝」の大きな看板が設置してある。この「金尾滝」の文字は、この後、再び目にすることに・・・。

 シャガやオドリコソウが咲く道を山に入っていく。大谷スカイラインの標示があり、野村坂をこう呼ぶようだ。円空仏のような枯れ木に施された彫刻が面白い。道は折り返すように南に向き水平になる。峠がどの辺りか分からない。東屋が現れ右に深くカーブしたところに巨大な人物の像があった。とてつもなく大きい白い像の両脇には赤い2体の小さな像がある。観音様だと思ったが、後に聖徳太子像であることを知った。像の隣には家もある。青いバイクが置いてあったが、ナンバープレートがなく廃車のようだ。

 像の北に「大谷山登山口」の標示を発見。滝谷山の手前にある山が大谷山であることを思い出した。石像の前の駐車場に車を止め、靴を履き替えたところで、車道を下って来た2人の男性登山者に出会った。ここから滝谷山までのルートを尋ねると、30分ほどで大谷山を経由してさらに30分ほどで滝谷山に至るとのこと。さらに、滝谷山から金尾滝を経由して野村坂入口に下ることができ、また大谷山手前から花立峠へ下り、車道を20分歩けばここへ戻れることも教えてもらった。大谷山には展望台が最近建設され、聖徳太子像の裏から確認することができた。親切に教えていただいたことに感謝し、2人と別れた。
 
 輪切りにした木材に大谷山の標示がある斜面を登って新緑のトンネルに入る。コシダの茂る尾根を緩やかに登り、明るい切り開きに出ると「里山展望台 標高170m」の標示がある展望地に出た。東側が切り開かれており、左の大谷山から新緑の美しい稜線が東へ続く。ほとんどが天然林の山で、目の前には350.7mピークが大きく見え、その奥の格好のいい山が滝谷山のようだ。西には花立峠から駆け上がる野村山が見えた。オレンジ色のヤマツツジの花が新緑の中でひときわ目を引く。コバノガマズミの純白の小さなブーケが風に揺れる。

 この展望台からすぐ先に白い看板と土嚢を囲むロープがあり、看板には「うなじヶ洞古墳」と書いてある。濃尾平野の前面にあるこの山の周辺には古墳群が多いようだ。左へも道が下っており「大谷スカイライン」へ100mとある。「城跡探索コースへ600m」の標示に従って直進する。
 
 よく間伐された林の中、遊歩道のような広い道を歩く。急斜面にはしっかりした階段が整備されており、立てられたばかりの標識も随所に見られる。ソヨゴ、コナラ、アカマツなど天然林の尾根を気持ちよく歩く。運動公園から野球のかけ声が聞こえてくる。地面には所々にヤマザクラの花びらが散り、さわやかな風が木立を抜ける。

「城跡探索コースへ200m」の標識を見ながら、丸木階段の急斜面を登りきってなだらかな尾根を歩くと、分岐点が現れ、直進は「城跡探索コース1300m」の標示。先ほどの標識は「200m」だったのが、なぜ「1300m」になったのか? このからくりは、標識の「へ」の字の有無。今日の山歩きの終盤で花立峠に下って分かることになるが、この山にはたくさんのコースが整備されており、「城跡探索コース」はこの分岐点から始まる。大谷山を経由して滝谷山に至る1300mが「城跡探索コース」となる。アカマツに小さなプレートが付けてあり、今登ってきた方向に「聖徳太子」と標示されており、登山口の像が聖徳太子であることが分かった。パズルを解くように謎が解明されていく。

 右の樹間にはこれから歩く稜線や大野町の田園が見える。アオダモの白い花はまるで綿菓子のよだ。ヘリが頭上を何度も行き来しているのが気になった。小さなハエが顔にまとわり付くが、この付近だけだった。木漏れ日の中、急階段を登り、なだらかになる。黄色い蝶が林床を飛びまわっている。春型のアゲハチョウかと思ったが、よく見るとギフチョウだ。久しぶりの出会い。落ち葉に止まったところを写真に収めることができた。この先、幾度と無くギフチョウと出会うことになる。

 白い看板が現れると大谷山に到着。野村城跡であり、段状になった山頂の地形からも、かつて建物があったことが分かる。標識によると南北朝時代に山上から敵を早期に発見するために造られた簡易な構造だったらしい。南側が切り開かれ、木造の新しい展望台ができていた。登山口で出会った方から「お昼は滝谷山がいいよ。」と聞いていたので、ランチは滝谷山でとることにして、シャリバテ防止にカステラを食べる。ここの展望台からの眺望は帰路のお楽しみとして、山頂を後にした。

 下り始めてすぐに、イワカガミの群落があり、淡いピンクの花がちょうど満開の状態。濃尾平野に面する低山にはどこでも見られる花であるが、この花を見つけると嬉しい。地面に張り付いて写真を撮った。ホオノキの落ち葉を踏みながら水平に歩くと、左前方に滝谷山の北尾根が連なっているのが見えた。左に人工林が現れ、さらに下り、鞍部から人工林の中、急斜面の階段を登り返す。なだらかな尾根に出て、明るい天然林を登っていくとピークに着いた。ここが350.7mピークのようだ。滝谷山まで420mの標示があり、この付近もきれいに下草が刈り取られている。

 左にヒノキの植林帯を見ながら下って痩せ尾根を歩く。人工林の隙間から北の山並みが見えるが、どの辺りか分からない。右手前方に採石場も見える。人工林との境を抜け、明るい天然林となり、青空に向って登っていくと滝谷山山頂に着いた。丸木で作られた簡易なベンチがいくつか設置してあり、180度切り開かれた南には春霞の濃尾平野が広がる。金華山が遠くに薄っすらと望める。人工林の北尾根にも踏み跡が続いているが、木で止めてある。付近には、植樹した苗をシカの食害から守るため、網がかけてあった。大きなホオノキに大谷山と同じ緑色の山名標示板が取り付けられており、その前で写真を撮った。ホオノキの幹に彫られた落書きが痛ましい。

 三角点の横のベンチで、下界を見下ろしながら、いつもより遅い昼食をとった。メニューはおでんと缶詰とドライカレー。ギフチョウが飛び交う山頂は、春の穏やかな風が流れ、居心地が良い。1時間ほどのんびりと食事をしながら、この後の行動を検討。道はさらに東へ続き、「滝まわりコース・金尾滝まで1600m」の標示がある。大谷スカイラインの入口にあった看板の滝に下れるようだ。とりあえず、もう少し東へ歩いてみることにした。

 下りかけると、白い布が下がっており、「雁又山へ」とマジックで書いてある。聞いたことのない山の名前であり、この先にあるようだ。すぐに鞍部に下りて、道は直角に右に曲がり、金尾滝に向っている。ここから直進して尾根を行く踏み跡があり、テープがいくつか付けられている。地図がないので全く先が見えないが、尾根を歩いて行けるところまで行くことに。

 細くなった落ち葉の道を登りピークを越える。前方に丸い山が見え、それが雁又山だとすれば、さほど遠くはない。たくさんの赤テープが風に揺れる。道は細いがしっかり踏まれており、歩く人はあるようだ。北斜面に回り込んで右山で下ると左から人工林が上がってきている。シカの食害防止のためヒノキの幹にはビニール紐が4本巻いてある。ギフチョウの食草であるカンアオイの葉がいくつか見られ、ギフチョウの多いのがうなずける。
 
 緩やかな天然林を歩くと、切り開きから採石場がすぐ目の前に見える。金華山や百々ヶ峰も望める。広いピークを下ってテープを追うと登りとなり、再びピークへ。先ほどと同じ緑色の標示が目に入った。「雁又山430m」と書いてある。コナラやアセビの茂る山頂は落ち葉に覆われ、南側に一部切り開きがある。採石場の音が聞こえる。北尾根は人工林で、道は南東尾根に続いていた。

 山頂に5分ほど滞在して、登ってきた道を引き返した。行きに気が付かなかったが、滝谷山の300mほど東から南に道が派生しており、「303番鉄塔」の標示があった。また、滝谷山の西のピークから304番鉄塔へ下る道があった。滝谷山を下るところで登ってくる軽装の単独男性と出会った。この山は地元の方がよく登られているようだ。大谷山に戻って展望台から眺望を楽しむ。しだいに霞が消え、金華山もはっきりと見えるようになってきた。正面には聖徳太子像が小さく見え、登ってきた尾根が波打っている。野球場もよく見える。

 3時を回ったので先を急ぐ。階段を下りて、「城跡探索コース」のスタートとなる分岐点から花立峠方向へ右折。ここは「こならコース」であり、名前のとおりたくさんのドングリが落ちており、芽を出しているものが多く見られた。急傾斜の階段を下る。峠から登ってくる2名の男性と挨拶を交わす。満開のミツバツツジが1本だけ見られた。今日出会ったミツバツツジはほとんど花が散っていたが、この1本は遅咲きのようだ。道の周囲は最近間伐されたようで、切り倒された道の幹が脇に積んである。再び急階段を下ると、花立峠の切通しの上部に出た。北の展望が開け、深坂の集落が見下ろせた。西には野村山手前のピークが見える。

 峠には広い露地があり、すれ違った登山者の車と思われる2台が停まっていた。簡易トイレや峠の名が彫られた大きな石碑もある。案内図を見て、この山の全体像を把握することができた。地図を見ていると、小学生の2人の女の子を連れたお父さんが「とりでコース」を登ってみえた。地図に野村山の記載は無いが、ガイド本には峠の反対側へ僅かに登ったところにあったと記憶している。

 引き返す3人家族の後を追って、西に続く「とりでコース」に入り、階段を登る。すぐに大きな石碑と東屋を通過。左に人工林を見ながら、小ピークを越え、さらに登る。大きなヘビにびっくりしながら登り詰めると、「花立峠まで300m・牛洞坂まで800m」の標識がある。道は南へ下っており、この付近の標高が最も高い。家族と別れて、標識から西への踏み後を30mほどたどると、樹林帯の中に四等三角点があった。何の標示も無いが、ここが野村山山頂である。踏み後はさらに西に続いていた。写真を撮って引き返し、花立峠まで戻った。

 峠に下りると、大野町側から大勢の中学生が自転車で上ってきた。テニス部の生徒だそうで、ここまで自転車で上ってくるとはすごい。峠を後に、車道を下った。車道の脇には、スミレやカキドオシなどが咲いており退屈しない。写真を撮りながら、かなりゆっくり下り、途中の水場で手を洗った。聖徳太子像前の駐車場に戻ると、パトカーが止まっていたのでびっくり。放置してあるバイクを調べているようだった。展望台から今日最後の展望を楽しむ。眼下に鉄塔がある。双眼鏡が備え付けてあったので覗いてみると、接眼レンズの片方が割れていた。振り向けば、西に傾いた太陽を受けて、今日歩いた稜線が黄色に輝いている。
 
 予想に反して、いい山だった。これほどきれいに整備されているとは思わなかった。整備は最近行われたようであり、これから訪れる人が増えるのではないだろうか。今回歩いたコースは半分ほどで、まだまだいくつかのコースが整備されている。岐阜市からも近く、気軽に登れる山だ。雁又山まで歩けば、さらに静かな山旅が楽しめる。この時期、なんといってもギフチョウの乱舞が見られるのはこの山の魅力であろう。
★大谷山からの展望等

★大谷山の植物と蝶
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