トレースマップはカシミール3Dで作成

*この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用しています。(承認番号 平17総使、第654号)
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八ヶ岳 (阿弥陀岳2805m 赤岳2899m 横岳2829m 硫黄岳2760m 長野県) 2007.8.15〜16 晴れ・曇り・雨 2人

<1日目>
美濃戸口(5:52)→美濃戸(6:37-6:49)→美濃戸山荘(6:56)→行者小屋(9:27-10:49)→文三郎道・中岳道分岐点(10:57)→阿弥陀岳・中岳分岐点(11:52)→阿弥陀岳山頂(12:29-12:49)→阿弥陀岳・中岳分岐点(13:25)→中岳山頂(13:39)→文三郎道分岐点(14:15)→行者小屋(15:05)
<2日目>
行者小屋(5:17)→文三郎道・中岳道分岐点(5:25-5:30)→赤岳・中岳分岐点(6:20)→赤岳山頂(7:00-7:10)→赤岳頂上小屋(7:25)→展望荘(7:46-7:52)→横岳(8:59-9:09)→硫黄岳小屋(9:43-10:01)→硫黄岳山頂(10:23-11:05)→赤岳鉱泉(12:21)→行者小屋(12:56-14:04)→美濃戸山荘(15:59)→美濃戸(16:06-16:09)→美濃戸口(16:59)

 30年以上昔、初めて歩いた3000m級の山が八ヶ岳である。サークルの夏山合宿に参加し、美濃戸口から巨大なキスリングを担いでキャラバンシューズで美濃戸まで歩き、美濃戸でベースキャンプを張った。行者小屋から赤岳を目指し、頂上小屋で一泊したが、その夜、台風並みの嵐が襲来し、翌朝、強い風雨の中、行者小屋へ撤退。超満員の頂上小屋でたたきつける風雨の音を聞きながら半身で寝たことと、ガスと雨が渦巻く岩場を下ったことがモノクロの記憶として残っている。それと合わせて、美しい赤岳や阿弥陀岳の姿は忘れられない。頂上小屋で買った赤岳の小さなバッジが今でも引き出しの隅にかすれた記憶とともに眠っている。その数年後に、当時の仲間で八ヶ岳を縦走し、リベンジを果たした。八ヶ岳がなかったら、今、山を歩く自分は無かったであろう。

 今年の夏山はいつものように迷いに迷ったが、古い思い出をたどる山旅として八ヶ岳を選んだ。町内の盆踊り大会が終わり、山モードに切り替え、2人の盆休みを同じにして、15・16日に山行計画を立てた。登山計画書は一切をらくえぬに任せた。計画では、美濃戸口を起点に、美濃戸を通過して行者小屋まで歩きテントを張る。張り終えたら阿弥陀岳を往復して、テント泊。翌日は赤岳、横岳、硫黄岳を縦走して赤岳鉱泉に下り、行者小屋まで登り返してテントをたたみ、美濃戸口まで下山する。2日目はロングコースであり、テント撤収の時間もあることから、美濃戸口への下山時刻は午後6時を過ぎる計画となっていた。ちょっと強硬な計画ではあるが、最後は林道歩き。何とかなりそうだ。

<1日目>
 
 13日の8時過ぎに各務原ICに入り、中央道で長野県を目指す。お盆の時期であることからトラックが少なく、また予想した混雑もない。諏訪湖のSAで車中泊。SAは行楽客で夜通し賑わっていた。諏訪湖畔の夜景が見下ろせてきれいだ。朝、4時起き、5時発。諏訪南ICを下りて東進し、農道のズームラインを走る。明るくなり始めた空に八ヶ岳のいくつもの峰が美しいシルエットを作っているが、この時、山の名前はさっぱり分からなかった。セロリや白菜の畑を見ながら、突き当たりを北進して美濃戸口を目指す。
 
 別荘群に入り、5時半頃、美濃戸口にある八ヶ岳山荘前の駐車場に停めた。大きな駐車場には10台ほどの車があるだけで、思ったよりも空いている。身支度をするパーティーが幾組か見られた。後続車の多くが美濃戸への林道に入っていく。ここから美濃戸まで車で進入できるが、悪路と聞いており、また昔キスリングを背負って歩いた道をたどるためにも、美濃戸口に駐車した。駐車料金は1日500円。駐車場の管理事務所が閉まっているので、下山時に支払うことにして出発。
 
 未舗装の林道を柳川まで下って登り返す。道路脇の空き地の駐車も見られるが、対向車とのすれ違いをするようなスペースには駐車禁止の表示がある。蛇行した林道は所々がコンクリート舗装となっているがはがれて凹凸ができており、車高の低い車は底を擦る。路面には擦った跡があり、脱落した車の部品も見つけた。何台かの車に追い抜かれながら、一カ所だけササの中をショートカットして、45分で美濃戸に着いた。昔の記憶が蘇る。
 
 有料トイレに寄って駐車場を見ながら美濃戸山荘を過ぎると南沢と北沢の分岐点が現れる。クサボタンが満開の林道から南沢の山道に入る。堰堤を乗り越え、シラビソの樹林帯の中、岩の多い道をゆるやかに登っていく。林床の倒木した木や岩にはスギゴケに似た苔で覆われて美しい。トリアシショウマのふんわりした白い花が満開で途切れることなく続いている。谷沿いに登り、谷を幾度か左右に渡る。エゾゼミの声が谷間に響く。ノブキが地味な花を咲かせており、キバナミヤマオダマキが時折優美な姿を見せる。
 
 美濃戸から30分ほど歩いたところで、折り返すように左の斜面に取り付き、崩れ落ちそうな大岩の下を通って東を向き、左山で針葉樹林帯を登っていく。草付きの斜面もあり、正面から日が差し始めた。慰霊碑と思われる石柱や岩の上の石の社がある手前でミカンを食べて最初の休憩。ミヤマダイモンジソウが岩陰に咲いている。テント用の大型ザックではあるが、さほど重くは感じない。登りが比較的緩やかなためであろうか。
 
 丸木橋を渡り、左に谷を見ながら相変わらず石の多い歩きにくい道を登っていく。目の前が開けて赤土の河原に出る。正面に八ヶ岳の稜線が見える。たくさんのトンボが飛ぶ河原を5分ほど歩いて右脇の針葉樹林に入る。溝のような登山道には石がごろごろしており、時折、樹林帯の中に新しい踏み跡が派生していた。
 
 樹林帯の中をいくらか歩いて2回目の休憩。パンを食べる。GPSで行者小屋までは後500mほどであることを知る。河原に出て正面の大きな赤岳を見ながら歩く。河原にはヘリポートもある。新潟県からみえた元気な2名の女性に出会い、行者小屋まで話しながら歩く。2人は赤岳の小屋で泊まるとのこと。明日、再び出会うことになる。
 
 行者小屋の前は大きな広場になっており、いくつかのテーブルが並んでいた。テント場はその広場の南側にある。10張程度設営されており、スペースは十分。東側の一段高い平らな場所にテントを張った。幕営料は1泊1人1000円。小屋のトイレや水を自由に使うことができる。テントを張り終えたら、少し早いがラーメを作ってランチにした。隣のテントのご夫婦はすでに赤岳を登頂して下山したところだった。昨日一泊しており今日帰途につくという。
 
 我々は計画どおり今日、阿弥陀岳を踏むことにした。サブザックと50リットルザックに必要なものをつめてテント場を出発。10分ほどで文三郎道と中岳道の分岐点に出る。阿弥陀岳は右。右山から左山へ。シラビソの急な斜面に取り付き高度を稼ぐ。やがて草つきの右山トラバース。左手前方の赤岳は濃いガスに包まれているが、そのガスの中に向かって文三郎道の赤い道が見える。登っていく登山者もよく見える。傾斜のきつい直線の道はかなりきつそうだ。手前には中岳の鋭い三角形がガスの間から見え隠れする。
 
 バイケイソウを見ながらトラバースしていく。前方には稜線に続く道が見える。眩しいほどのキオンの花にアサギマダラが舞っている。タカネグンナイフウロ、ミネウスユキソウ、ミヤマコゴメグサ、ミヤマコウゾリナなどの写真を撮っていると、前を行くらくえぬの驚いた声。なんとリンクしているHP管理人の山ねずみさんに出会った。鳩吹山のサンタクロース以来の対面である。山三昧の生活の話など5分ほど山談義して「では、また」と別れた。
 
 山ねずみさんに元気をもらって、鉄網の渡り板を歩いて稜線に出た。ここから阿弥陀岳への登りが始まる。通常、ここにザックをデポしておくが、さほど重くもないのでストックをザックにくくり付けてスタート。見上げれば、梯子と岩壁に取り付く人。イブキジャコウソウの群落を見ながら梯子を登る。梯子を登る途中に、初めて見るクリーム色の花を見つけた。ラン科の花と思っていたが、帰って調べてみるとハナイカリ。リンドウ科。よく見るとトルコキキョウの葉に似ている。
 
 梯子を通過してタカネナデシコやチシマギキョウ、ヒメレンゲの咲く岩壁のクサリに取り付く。傾斜はぐんぐん増す。下山してくる登山者に道を譲ってもらい、落石しないように青空を目指す。一輪のウメバチソウに元気づけられて南斜面に回りこみ、クサリのない岩の壁を登る。浮いた石が多く、手をかける石を慎重に選びながら一歩、また一歩。下山後、行者小屋で聞いた話では、2・3日前に手をかけた岩が抜け落ちて、指をつぶした事故があったらしい。
 
 上方には山頂直下の荒々しい岩がガスで霞む。下山時のことを考えながら登った。岩壁を登りきって、赤いザレた道を歩き、山頂へ。山頂は比較的広く、石仏や木柱が立つ。2名の登山者がみえたが、すぐに下山。無数のトンボと2人だけが残った。フルーツ缶詰が美味しい。ガスで真っ白だったが、しばらくするとガスが切れて赤岳の左半分が姿を見せる。中岳を経て赤岳にジグザグと登って行く道が地上絵のように見えた。
 
 下山は更に慎重になった。ザレた道から南側へ下る道は3箇所あり、登りのときは一番西を登ったが、下りは真ん中のコースを選んだ。どのコースも五十歩百歩。落石しないように垂直の壁を降りた。岩をつかむ手にベニヒカゲが止まった。クサリ場、梯子を経て鞍部へ。胸をなでおろす。計画ではここから登ってきた道を引き返すことにしていたが、中岳山頂まで登ってみることにした。ハイマツの中を登っていくとすぐに山頂に到着。反対側からの登山者と情報交換。
 
 ここまで来たので、中岳を東へ下って文三郎道を下ることにした。中岳の東への下りはクサリの岩場であるが問題はない。登山道脇にコマクサをいくつか見つけた。ちょっとくたびれているが、きれいな花もある。鞍部まで下りて、文三郎道分岐点はこの鞍部にあるのではなく、赤岳中腹まで登り返したところにあることに気がついた。見上げれば赤い斜面に続くジグザグ道と、はるか上方の標識。ここまで来たら登るしかない。時折ガスで覆われる斜面を標識まで登り切った。
 
 行者小屋から登ってきた男性が到着したところで、小屋から1時間半ほどかかったとのこと。見下ろすとクサリの手すりがついた石ころだらけの赤い道が眼下のガスの中に消えている。少し下で男性の連れの女性がクサリにしがみついてバテ気味。この登りはつらそうだ。明朝、我々もここを登る予定であるが、「明日は我が身」のような気がした。
 
 滑らないようにクサリに掴まってザレ場を下ると、鉄網の階段が現れた。ガスが消えて眼下には緑の中に黒い行者小屋がポツンと見える。天空の階段を下りるように、すごい高度感。左の阿弥陀岳のガスが消え始め、巨大な山容が現れる。道はクランクして急なクサリのザレ場と階段がまっすぐに続く。これを明日登る気にはなれない。長い階段が終わるところで登山道整備をしている男性に「ご苦労様」と声をかける。
 
 ダケカンバなどの低木の樹林帯の掘れた歩きにくいジグザグ道を下って中岳道の分岐点へ。ゴゼンタチバナの白い花がいくつか見られた。ガスの消えた赤岳を振り返りながら行者小屋まで戻った。300円の缶ジュースが美味しい。
 
 まだ3時過ぎであり、太陽の下のテントの中は暑くて入れないため、小屋から15分ほどのところにある中山展望台まで行ってみる。赤岳鉱泉方面への道を10分ほど緩やかに登っていくと中山乗越の峠に着く。周辺が伐採されており、横岳や天にそびえる巨大奇岩の大同心、小同心が展望できる。足下にバイカオウレンの赤い実とともに、咲き遅れたバイカオウレンの花を2輪見つけた・・・と思ったが、後日、「可児からの山歩き」さんのHPでコガネイチゴの花と実であることを知った。
 
 中山展望台の表示に従って左へ5分も登れば開けたピークに出る。標識があり、ここが中山展望台。赤岳、横岳の西壁が屏風のように立ちはだかり圧倒される。南にはガスの消えた阿弥陀岳が大きい。石の上に座ってこの大パノラマをのんびりと眺めた。展望台周辺の林床にはたくさんのコバノイチヤクソウが見られた。
 
 展望を楽しんだら、小屋まで戻って、広場のテーブルで夕食の準備をした。夕食は味噌鍋。ホタテの缶詰、たくさんの野菜、キノコ、うどんなどを味噌で煮込む。小屋で調達した生ビールがうまい。小屋のご主人や隣のテーブルで夕食を作っている登山者と会話しながら、情報収集して、明日の作戦会議。明日は文三郎道を登って赤岳、横岳、硫黄岳を縦走して赤岳鉱泉から行者小屋に戻りテントをたたんで美濃戸口まで歩くロングコース。計画書では6時頃に駐車場に着くことになっている。ほんとうに歩けるのだろうか? 計画書作成者が地図を広げてコースタイムを再計算。午後4時頃に行者小屋を後に下山していく登山者もいたことから少し安心。
 
 子供連れのファミリーテント泊も見られ、小屋の前はにぎやか。小屋の宿泊者も少ないようだ。小屋の管理人さんの小さな女の子の希望で、従業員さんたちも外で夕食をとってみえた。日が落ちていく中で、八ヶ岳の大パノラマを見ながら最高のコーヒーを楽しんだ。
 
 暗くなる前にテントに戻って明日の登山準備をして8時前にシュラフに潜った。明日の朝、文三郎道のザレたクサリ場を登る姿を思いながら、いつの間にか深い眠りに落ちた。

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